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Books · Moonlight Library

『Mating in Captivity』が問いかける、愛しているのに欲望が薄れるのはなぜか

安心と刺激、親密さと距離。そして解く価値のある緊張。親密さが正確に知られることであり、情欲が完全に地図化されていない相手を望むなら、二つのうちどちらかが折れなければならない。だがどちらも折れない。欲望を平らにするのは知ではなく終結であり、いまの像ではなく閉じられた書類だからである。さらに、その処方が避けている問い。その家で、それが勧める距離を実際に払えるのは誰なのか。

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長く一緒にいることは、親密さを育てます。

相手の癖を知る。疲れているときの顔が分かる。何を注文するか予想できる。説明しなくても通じることが増える。

それは、関係の大きな財産です。

でも、その安心と同じ場所で、欲望が静かになることがあります。

Esther Perelの『Mating in Captivity』は、その少し不思議な現象を中心に置いた本です。愛と欲望は同じ方向へ進むとは限らない。安心は親密さを支える一方で、予測できなさや新鮮さを減らすこともある。

そしてこの本が長く読まれてきたのは、多くの人が「自分の関係は良好なのに、なぜ」と感じていて、その問いに名前がなかったからだと思います。壊れていないものについて相談するのは、壊れているものについて相談するより難しい。

近いほど欲しくなるとは限らない

私たちは、良い関係なら何でも近いほうがいいと考えがちです。

もっと話す。もっと共有する。もっと一緒にいる。秘密をなくす。

もちろん、信頼をつくるためにそれらは大切です。

でも、欲望には少し違う性質があります。

相手を完全に理解したと思った瞬間、その人の「他者らしさ」は薄くなります。

知っている人ではあるけれど、まだ知らない部分がある。

自分のものではない人生を持っている。

自分とは別の場所で輝いている。

そうした距離が、再び相手を「見る」きっかけになることがあります。

ここでいう距離は、物理的な離れ方ではありません。相手を予測しきらないという態度のことです。同じ家にいても保てますし、離れて暮らしていても失われることがあります。単身赴任の夫婦が必ずしも新鮮でいられるわけではないのは、そのためです。距離があっても、相手についての物語が固定されていれば、見え方は変わりません。

欲望の敵は知ることではない。閉じられた書類である

注意深い読者はここに緊張に気づくでしょう。そしてそれは、誰かがつまずくために残しておくのではなく、解く価値があります。

この図書室自身の親密さの説明は、それが、応答を予測できる誰かによって正確に知られていることから成る、というものです。ペレルの情欲の説明は反対を望んでいるように見えます。別々であること、不透明さ、完全に地図化されていない相手。もし近さが正確な知を要し、欲望が知らないことを要するなら、二つのうち一方が折れなければなりません。

それらは衝突しません。異なるものについてだからです。正確さは、誰かの持つあなたの像が、いまのあなたについて真であるかに関わります。ここで重要な意味での神秘は、その像がまだ改められているかに関わります。それらは独立しています。人は精密に知られていて、なお終わっていないことがありうるのです。

だから欲望を平らにするものは知ではありません。終結です。もう見出すべきことは何もなく、書類は完成し、その人は要約されたという、落ち着いた感覚。二人が望むことを失うのは、互いについて知りすぎたからではありません。それぞれが相手はもう完全に説明がついたと決めたときに失うのであり、それは情報の量ではなく一つの結論です。

それが実務の問いを「もっと神秘を育てよ」より鋭く、そしてかなり作りものでないものにします。誰も意図して予測不能になる必要はありません。問いは、相手の持つあなたの像が更新されているのか、それとも綴じられたのか、です。そして試しは単に、今年、二人のどちらかが相手について、段取りの事実ではない何かを学んだかどうかです。

そしてそれが、この図書室の以前の知見がペレルに反してではなく並んで成り立つ理由を説明します。正確さは劣化し、そして像を今のものに保つ仕事が、その書類を開いたままにする仕事と同じものなのです。

安全と距離は、両立するのか

ここで、この棚の別の一冊と正面からぶつかります。

『Come As You Are』の中心は、安心です。緊張、疲労、恥、評価されている感覚——そうしたものが減ったときに、身体はひらきやすくなる。だから、足すより先に外す。

Perelの中心は、その逆に見えます。安心しきったところで欲望は静かになり、必要なのは予測できなさのほうだ、と。

矛盾しているように読めますが、たぶん、二人は違うものを見ています。

Nagoskiが扱っているのは、脅威としてのブレーキです。怖い、疲れた、見られている、恥ずかしい。これらは減らすべきものです。

Perelが扱っているのは、脅威ではなく融合です。相手が自分の延長になってしまい、欲望が向かう先としての「他者」がいなくなる状態。ここに足りないのは安全ではなく、輪郭です。

だとすれば、順番があります。安全は前提であって、目的ではありません。安心できていない関係で距離を演出しても、不安が増えるだけです。安心が確保されたうえで、それでも静かなときに、輪郭の話が意味を持ちます。

この順番を逆にした助言は、たいてい害になります。

そして、二冊が食い違って見えること自体にも意味があります。片方だけを読んだ人は、しばしば自分の状況を誤診します。安全が足りていないのに刺激を足そうとするか、輪郭が消えているのに休もうとするか。どちらも善意で、どちらも効きません。

不安をつくることが、答えではない

ここで誤解したくないのは、関係を不安定にすれば欲望が戻るという話ではないことです。

嫉妬させる。距離を置いて不安にさせる。秘密をつくる。

そうした操作は、信頼を傷つける可能性があります。

Perelの問いをもっと丁寧に読むなら、必要なのは危険ではなく、相手を自分の延長として扱わないことなのかもしれません。

長く一緒にいても、相手には自分の知らない考えがある。

ひとりの時間がある。

別の人間としての魅力がある。

親密さは「全部知ること」ではなく、知っている相手を何度も見直すことでもあります。

見直すというのは、努力の話に聞こえますが、実際にはもっと単純です。質問をやめないこと。答えを先に想定しないこと。「どうせこう言うだろう」と思った瞬間に、相手は少し消えます。

この理屈が、武器になるとき

この考え方は、悪用されやすい形をしています。

「近づきすぎたから冷めた」という説明は、そのまま「あなたが求めすぎたからだ」に変換できます。距離が必要だという主張は、距離を取る側にとって都合がよく、取られる側には確かめようがありません。

そして、この変換には偏りがあります。「重い」「求めすぎ」と言われる側は、多くの場合、女性です。同じ量の連絡や関心が、立場によって違う名前で呼ばれます。

もう一つ区別が要ります。存在している距離と、押しつけられた距離は別のものです。前者は、相手が自分の人生を持っているという事実です。後者は、相手を不安にさせるための操作です。前者は関係を豊かにし、後者は関係を消耗させます。

理論が正しいことと、その理論を持ち出す人の動機が正しいことは、別の問題です。

見分ける手がかりが一つあります。距離の話をしている人が、自分の側の距離についても同じように語っているかどうか。片方向にしか適用されない理屈は、たいてい理屈ではありません。

ひとつのレンズで、全部は見えない

『Mating in Captivity』は非常に魅力的な本ですが、どんな欲望の低下も「近づきすぎたから」と説明できるわけではありません。

疲労。育児。介護。仕事。痛み。健康。薬。ホルモン。関係の中の不公平。解決していない怒り。安心できない経験。

欲望には多くの要素が関わります。

距離や新鮮さだけを強調すると、生活の負担や身体の問題が見えなくなることがあります。

この本は診断書ではなく、ひとつの鋭いレンズとして読むのがよいと思います。

そして、鋭いレンズには特有の危険があります。よく切れる説明は、当てはまらない場合にも当てはめたくなる。「これは近さの問題だ」と思ったとき、それが痛みの問題や、睡眠の問題や、単に相手への怒りの問題である可能性を、一度は数えておいたほうがいい。診断名がついた瞬間に、他の可能性を探すのをやめてしまうのは、人の癖です。

家事の量と、相手の見え方

この本が最も語らない領域が、たぶんいちばん多くの人に効いています。

家事と育児の分担です。

一方が段取りを全部管理している関係では、その人はもう一方にとって「実務を回してくれる存在」になります。同時に、管理している側から見ると、相手は「指示しないと動かない相手」になります。

この配置は、欲望にとってかなり不利です。上司と部下のあいだに情熱が生まれにくいのと、たぶん同じ理由です。

家事の分担と関係の満足度に関連があることは、繰り返し観察されてきました。因果の向きを断定することはできません。ただ、少なくとも「新鮮さが足りない」という説明より先に、この配置を見る価値はあります。

そして、これは雰囲気で解決する種類の問題ではありません。旅行では変わりません。誰が何を覚えているかが変わらない限り、配置は同じままです。

Perelの本を読んで刺激を足そうとする前に、確認できることがあります。この一週間、予定を覚えていたのは誰か。医者の予約を取ったのは誰か。冷蔵庫の中身を知っているのは誰か。

この三つの答えが片方に寄っているなら、まず動かすべきはそこです。順番として、そのほうが安い。旅行より安く、話し合いより早く効くことがあります。

その距離を誰が払えるのか

診断とは区別される処方のほうに構造の問題があり、そしてそれがこの本がもっとも気づきにくいものです。

その治療は別々であることです。自分の生活を持ち、関心を保ち、相手が興味を抱く理由のある人であり続けること。望むことを支えるものの説明としては、それはありそうです。指示としては、それは診断がすでに欠けていると同定したものを前提しています。

距離は無料ではなく、そして対称に手に入るものでもないからです。自分の、地図化されていない生活を持つ人であることは、誰にも取られていない時間、自分のものである金、そして自分がほかの場所にいるあいだ家の床を支えているほかの誰かを要します。一人が食事、学校、病気、老いた親、そして情の天候の既定である家では、出かけて興味深い別の自己を育てよという助言は、それを行う力がもっとも少ない人の上に落ちます。

そしてそれはしばしば、含みとしての咎めを伴って到来します。あなたは自分を予測可能にしてしまった、神秘的であることをやめた、と。実際に起こったのは、地図化されていない自己を生みうるあらゆる時間が、すでに割り当てられていたということなのに。

だから順序が重要であり、そしてこの本はそれを供給しません。不均等に荷を負った家にとって、最初の介入は神秘ではありません。日程です。誰が既定であり、どの曜日にそうであり、そして監督されず勘定にも入らない一続きの時間がそもそも存在するためには何が変わらねばならないのか。情欲はそれより下流にあり、そしてどれだけ育てられた他者性も、誰もあなたを必要としない午後の代わりにはなりません。

それはこの本に反対する議論ではありません。順序についての議論であり、そしてその治療が誰の労働を静かに前提しているかに気づくことについての議論です。

「夫婦」という役割の内側で

日本でこの本を読むと、「夫婦」「母」「父」「家を回す人」といった役割について考えさせられます。

長く暮らすほど、相手を見るより先に役割を見ることがあります。

今日の予定を回す人。 子どものことを相談する人。 家計を共有する人。

その機能が大切であるほど、「ひとりの異性」「ひとりの人間」として相手を見る視線が弱くなることもあります。

言葉も効いています。「奥さん」「ご主人」という日常語は、文字の上では位置関係を含んでいます。使っている人がその意味を込めているとは限りませんが、毎日使う言葉が、関係の形を静かに支えていることはあります。

だから、新しい旅行や特別なデートだけが答えではありません。

普段とは違う服を着た相手を見る。

自分の知らない話を聞く。

相手が自分なしでも楽しんでいる姿を見る。

いつもの人を、少しだけ他人として見直す。

そこから欲望が戻る人もいるでしょうし、戻らない人もいるでしょう。

戻らなかった場合も、それは失敗ではありません。役割としての関係が悪いわけでもない。ただ、そこに何を期待するかを、正確にしておいたほうが穏やかに暮らせます。

どちらでも、観察する価値はあります。

二つの台本のあいだで暮らす

国際的な関係の中にいる人にとっては、この本はまた違う読み方になります。

夫婦のあり方についての台本が、二つあるからです。何を言葉にするか、何を察するか、どこまで家族が関わるか、感謝をどう表すか。どちらの台本にも理屈があり、どちらも「普通」だと感じられています。

その二つがずれるとき、片方の側では「距離がある」と読まれ、もう片方では「配慮している」と読まれます。同じ行動が、正反対に受け取られる。

Perelの言う「他者らしさ」は、こういう関係の中では最初から十分にあります。むしろ多すぎることもある。だからこの本の処方は、そのままでは当てはまりません。

必要なのは他者らしさを増やすことではなく、その他者らしさを、距離ではなく関心として扱う共通の言葉を見つけることかもしれません。

そしてこの作業には終わりがありません。二つの台本は、年数が経てば一つに溶けるというものでもない。溶けないまま、両方を持ったまま暮らしていく形もあります。

この本が、答えていないこと

はっきりさせておきたい点があります。

この本の土台は、臨床の観察です。長年にわたって多くの関係を見てきた人の、鋭く、経験に裏づけられた読み取り。それは価値のあるものですが、測定ではありません。

そして、臨床の観察には偏りがあります。カウンセリングに来るのは、来られる人です。時間と費用と、話す意思がある人。うまくいっている関係も、諦めた関係も、そこには含まれていません。

だからこの本は、「多くの関係がこうなる」ということを示していません。「こういう関係がある」ということを、非常によく示しています。

さらに、原因の向きも分かりません。距離が減ったから欲望が静かになったのか、欲望が静かになったから距離を詰めたのか。生活の負担が両方を同時に起こしているのか。

本書はその問いを開いたままにしています。それは誠実さであって、欠陥ではありません。ただ、読む側が結論として受け取ると、開いていたはずのものが閉じてしまいます。

そしてもう一つ。この本が想定している読者は、関係を続けたいと思っている人です。続けるかどうかを迷っている人、あるいは終える準備をしている人には、別の言葉が要ります。この本は、そこには答えていません。

私たちが、受け取りたいもの

Moonlightが受け取りたいのは、「関係には刺激が必要」という単純な教訓ではありません。

もっと興味深いのは、親密さと所有を同じものにしないという考えです。

近づいても、相手を決めつけない。

よく知っていても、今日の気持ちは確認する。

触れ合いがあっても、次を当然と思わない。

関係が長くても、相手が変わる余地を残す。

その余白には、恋愛だけでなく、あらゆる親密さに使える知恵があります。

そして、こちらの立場も書いておきます。この本の議論は、私たちにとって都合よく使えます。「関係の外側に新鮮さが必要だ」という読み方は、そのまま営業になり得る。私たちはその読み方を採りません。この本は、外に出る理由ではなく、内側の見方を変える提案として書かれています。

関係を修復したい人には、修復のほうが要ります。私たちにできる範囲は、その外側です。

そして、この本を読んで自分の関係を見直した結果、私たちのところに来る必要がなくなる人がいるなら、それはこの記事がうまくいったということだと考えています。

読み終えたあとの問い

最近、相手を「知っている」と思いすぎていないか。

自分自身も、役割だけで生きていないか。

安心と退屈はどこで分かれるのか。

近さと自由を、両方持つことはできるか。

もう少し具体的に考えるなら、こんな問いもあります。

相手について最後に新しく知ったことは何で、それはいつだったか。

自分について相手が知らないことを、意図的に伏せているか、それとも話す機会がなかっただけか。

MoonlightのJournalやWhat Is Tantra?では、その問いを、長期関係だけに限定せず「どうすれば相手を決めつけずに近づけるか」という視点から続けていきます。

もう少し静かに考えてみる

別の入口から読む