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世界の親密さ

アイルランド。国民が投票する前に、座って考えた仕組み

アイルランドは、心変わりの物語として語られる。これは方法の物語である。妊娠についての立場を自国の憲法に書き込んでしまった国は、それを取り除く方法をただ一つしか持たなかった。全員に尋ねることである。そして尋ねる前に、この国は無作為に選ばれた九十九人を五つの週末にわたり資料の前に座らせ、彼らが何をどれだけの差で結論したかを公表した。ここから取り出せる主張は狭い。熟議がよりよい答えを生むという主張ではない。同じ仕組みが二〇二四年に二つの提案を生み、同じ国がそれを明確に否決したからである。主張はこうである。論じられた決着は論証の記録を残し、告知された決着は告知だけを残す。

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アイルランドは、たいてい心変わりの物語として語られる。カトリックの国が世俗の国になった、そして三年を隔てた二つの国民投票がその瞬間を記録した、という筋立てである。数字が結論であるかのように引用される。二〇一五年五月、結婚について六十二パーセント。二〇一八年五月、削除について六十六パーセント。

この書庫が主に関心を持つのは、その数字ではない。その前に何が起きたかである。アイルランドはこの二つの問いに対して、ほとんどどの国もどんな問いに対してもしないことをした。国が投票する前に、普通の人々の集まりが、無作為に選ばれ、何の役職も持たず、選ばれたという以上の資格を何も持たないまま、医師と法律家と、議論のあらゆる側からの意見書とともに席につき、数か月にわたって作業した。そして彼らは自分たちのあいだで投票し、何をどれだけの差で結論したかを、渡された資料と речь記録とともに公表した。国民が投票所に向かったのは、そのあとである。

この文章がしたい主張は狭く、その狭さこそが要点である。熟議がよりよい答えを生むという主張ではない。アイルランド自身の記録がその読みを拒んでおり、しかも決定的に拒んでいる。後の節で、この文章自身の損になるかたちでそれを示す。主張はこうである。ある社会が私的な生についての問いをどう決めたかは、その決定が、あとから内側で暮らす人々にとって何を意味しうるかを変える。とりわけ、負けた側の人々にとって変える。論じられた決着は論証の記録を残す。告知された決着は告知だけを残す。

この書庫には今月、私的な生の条件が変わり、しかも誰も投票しなかったもう一つの国がある。二つの文章は併せて読まれるべきものである。ただしこの比較には硬い限界があり、それをここで、冒頭に置いておく。あとから読み越えられないようにするためである。アイルランドの記録のどこにも、ポーランドの帰結が別の手続きのもとでは違っていただろうと示すものはない。それは知りえない。この書庫はそれを知らないし、知っているかのようにほのめかすこともしない。

憲法に実際に書かれていたもの

まず正確さから入る。ここが、アイルランドの内でも外でも、もっとも雑に報じられる部分だからである。

アイルランド憲法を変える方法は、ただ一つしかない。第四十六条は、改正案が下院に法案として提出され、両院を通過し、そののち国民に付されることを要求する。投じられた票の過半数が賛成であれば、法案は大統領によって署名され、憲法はそのとおりに改正される。議会だけで済ませる近道も、裁判所を通る近道もない。これは直接民主主義への国民的な嗜好の証拠ではない。一つの文書についての構造的な事実であり、その結果として、他国が法律で片づける事柄について投票せざるをえない国ができあがる。離婚について、死刑について、大統領に立候補できる年齢について、条約について、そして家族の定義について。

一九八三年、その仕組みが、妊娠についての一つの立場を憲法本文そのものに書き込むために使われた。一九八三年憲法第八修正法は、第四十条三項に新しい款を、アイルランド語本文と英語本文の双方に加えた。英語本文はこう読める。国は胎児の生命への権利を認め、母の生命への同等の権利に相応の考慮を払いつつ、その権利を法において尊重することを保障し、実行可能なかぎり法によってそれを擁護し確保することを保障する。これは一九八三年九月七日の投票で、八十四万千二百三十三票対四十一万六千百三十六票、投票率五十三・七パーセントで承認され、同年十月七日に署名された。

この文言の二つの特徴は、覚えておくに値する。以後のすべてがそこを通るからである。第一に、この款はそれ自体では何も禁じていない。あらゆる法律がそれに照らして測られる憲法上の権利を作ったのであり、つまり立法府は結果から法律で抜け出すことができなくなった。錠は、通常の政治が働く高さより上にかけられた。第二に、この条項は形の上では対称的である。二つの生命、同等の権利。しかしその対称性が特定の病院の特定の夜に何を意味するのかを決める作業は、それに賛成票を投じた人々ではなく、裁判所と臨床の現場に落ちた。一九九二年、この国の最高裁判所はこの款を、女性の生命への危険がある定められた状況では中絶を許すものとして読んだ。その二十一年後、その読みに手続きを与える法律が成立した。この文章はこの流れを構造としてのみ参照し、事件そのものを語らない。理由は末尾に記す。

この款は書かれたままにも留まらなかった。一九九二年、同じ款に二つの修正が加えられた。一つは、この款が国と他国とのあいだを移動する自由を制限しないと定めるもの、もう一つは、この款が、法律の定める条件のもとで、他国で適法に利用できる役務についての情報を国内で得たり提供したりする自由を制限しないと定めるものである。一つの国が、権利を憲法に置くことに投票し、その九年後、同じ款の中で、その権利は空港までは届かないと明示することに投票したのである。

そこにいることを望んでいなかった九十九人

熟議の仕組みは中絶の問いのために発明されたのではない。順序を正しく把握することが重要である。二つの組織は日常的に取り違えられているからである。

最初のものは憲法会議で、二〇一二年七月に両院の決議によって承認された。その構成は、無作為に選ばれた市民六十六人、両院および北アイルランド議会から出た政治家三十三人、そして独立した議長として経済学者のトム・アーノルドだった。定められた議題と、自ら選んだ二つの議題を検討した。二〇一三年四月、性別の区別なく結婚できるよう憲法を改正することを、七十九パーセントの賛成で勧告した。政府は二〇一三年十二月に応答し、国民投票は二〇一五年五月に行われた。つまり結婚の問いを準備したのは市民と政治家の混成体であって、のちの全員が市民の会議ではない。

二つめが市民会議であり、二〇一六年七月の両院決議によって設置され、最高裁判所判事メアリー・ラフォイが議長を務めた。構成は市民九十九人と議長、そして九十九人の補充要員である。五つの議題が与えられた。第八修正、高齢化する人口がもたらす課題と機会、任期固定の議会、国民投票の実施方法、そして気候変動に国家がどう応じうるか。第八修正が最初に扱われた。

選抜の方法は、漠然と称賛するのではなく、正確に記述されるべきである。この模型をめぐる議論のほとんどは、実はその二つの違いのところに住んでいるからである。公募入札を経て市場調査会社が起用された。層化無作為抽出が用いられた。国勢調査のデータから無作為に抽出地点が選ばれ、調査員が選挙区の区画内の住所を訪ね、国勢調査から導かれた性別、年齢、社会階層の割当に従って人を集めた。会議の構成員は選挙人名簿に登録されていなければならなかった。会議の議題について運動する団体の構成員であった者、またはあろうとする者は除外され、面接で確認された。一般からの直接の応募は受け付けられず、調査員が友人や家族を登録することは禁じられた。

これは真面目な手続きであり、そして純粋な意味での抽選ではない。誰も徴集されてはいない。調査員が訪ね、人は応じるか断るかした。そして、この国でもっとも意見の割れる主題に五つの週末を差し出すことに応じる人々は、それ自体、尋ねられた人々からの無作為な抽出ではない。会議には脱落もあり、だからこそ補充要員がいた。そして二〇一八年二月、一月の会合に出席し投票していた七人の補充構成員が、合意された方法の外で、電話により、調査員の知人を通じて集められていたことが明らかになった。彼らは外され、以後の作業に加わらなかった。議長はこの件を遺憾と述べ、孤立した事例であり会議のそれ以前の作業には影響しないと述べた。時期についてはそれは擁護できる立場である。第八修正についての投票はその十か月前に終わっていたからである。そしてこれはまさに、手続きを称賛する文章が印刷する義務を負う種類の事実でもある。

会議が実際に勧告したこと

会議は第八修正について、二〇一六年十一月から二〇一七年四月までの五つの週末に開かれた。会議自身の報告書は、二十五人の専門家、八十時間を超える聴取と討議、そして一般から寄せられた一万二千件を超える意見書を記録している。公開の部は生中継され、資料は提示されたそばから公表され、逐語記録は報告書に付された。投票は元の選挙管理責任者の助力のもとで行われた。

二〇一七年六月二十九日に公表された勧告はこうである。八十七パーセントが、第四十条三項三款を全部そのまま残すべきではないと投じた。五十六パーセントが、単に削除するのではなく置き換えるか修正すべきだと投じた。五十七パーセントが、中絶、胎児の権利、妊婦の権利について立法する権限を議会に明示的に与える規定に置き換えるべきだと投じた。言い換えれば、会議は削除だけを勧告したのではない。問いを立法府に引き渡すことを、言葉にして勧告し、その引き渡しを憲法本文に書き込むよう勧告したのである。

では立法府は何をすべきか。六十四パーセントが、理由の制限なしの中絶が適法であるべきだと勧告した。その投票をした者のうち、四十八パーセントは十二週まで、四十四パーセントは二十二週までとし、八パーセントは妊娠週数の制限を置かなかった。別に、過半数の構成員が、中絶が適法であるべき十二の事由を勧告した。女性の生命への危険から、健康への危険、社会経済的な理由まで及ぶ。そして七十二パーセントが、身体の健康と精神の健康のあいだに区別を設けるべきではないと勧告した。

ここから、この組織についての感傷的な読みに逆らう二つのことが導かれる。第一に、会議は事由についても制限についても、立法府がのちに制定することになるものより幾らか先へ着地した。これは、小規模熟議体は結局のところ定まった世論を国に映し返すだけだという議論にとって、都合が悪い。第二に、二〇一八年の国民投票が行ったことは、構造としては会議が求めたほぼそのものだった。単なる削除ではなく、問題を議会に引き渡す置き換えである。議会の合同委員会が会議の報告書を受け、自ら聴取を行い、二〇一七年十二月に自らの勧告を付して報告し、政府は二〇一八年一月に手続きを進める決定を公表した。部屋から投票用紙までの鎖が一つひとつ記録に残っている。それ自体が、この国の異例な点である。

二つの国民投票がしたこと、しなかったこと

二〇一五年の投票は広く誤って記述されており、たいていは好意的に誤られている。二〇一五年五月二十二日、この国は憲法第三十四修正(婚姻の平等)法案を、百二十万千六百七票対七十三万四千三百票、投票率六十・五二パーセントで承認した。修正は第四十一条に新しい節を挿入した。婚姻は、法に従い、両性の区別なく二人によって締結されうる。二〇一五年八月に署名され、二〇一五年婚姻法が十月二十九日に続き、同年十一月に施行された。アイルランドは、立法でも裁判所でもなく全国規模の国民投票によって同性の二人に婚姻を及ぼした最初の国家である。

それが何をしなかったかのほうが、より有用な一覧になる。女性の家庭内の生についての規定である第四十一条二項には触れず、それは本文の中にさらに九年残った。婚姻という制度を守るという国の誓約も取り除かなかった。いかなる宗教団体にも特定の儀式形式を認めることを義務づけず、いかなる宗教上の司式者にもそれを執り行うことを義務づけなかった。この点は二〇一五年婚姻法第七条に明示して書き込まれている。そして親子関係や承認をめぐる周辺の法を自ら作ったわけでもない。同じ年に成立した別の法律群、たとえば二〇一五年性別承認法が、国民投票の決めなかった事柄を扱った。一文の憲法修正は狭い道具であり、それを国民気質の全般的な変化として扱うところから、誤報のほとんどが始まる。

二〇一八年の投票は、認めた内容においてさらに狭い。そしてこれがもっとも失われやすい事実である。二〇一八年五月二十五日、この国は憲法第三十六修正法案を百四十二万九千九百八十一票対七十二万三千六百三十二票、投票率六十四・一三パーセントで承認し、同年九月十八日に署名された。投票所の案内は問いを削除と置き換えとして提示した。一九八三年の款を、一九九二年にそこへ付された移動と情報の条項もろとも削除し、一つの文を置き換える。妊娠の終了の規律について、法律で定めることができる。この文はそれ自体では何も許していない。錠を外し、問いを立法府に返しているのであり、会議が勧告したとおりである。

そのあと立法府が仕事をした。二〇一八年保健(妊娠終了の規律)法は十二月十三日に成立し、十二月二十日に署名され、役務は二〇一九年一月一日に導入された。その構造を述べておく価値がある。国外の議論はそれをめったにしないからである。二人の医師が、女性の生命への危険または健康への重大な害の危険があるとの意見を形成した場合に適法となり、緊急時については別条がある。二人の医師が、胎児が出生前または出生後二十八日以内に死亡する見込みのある状態が存在するとの意見を形成した場合にも適法となる。そして別条により、一人の医師が妊娠十二週を超えていないとの意見を形成した場合にも適法となり、証明から処置までに三日以上の間隔が必要とされる。法自身の届出統計は、それが実際にどう分布するかを示す。二〇二二年に届け出られた八千百五十六件のうち、八千四十二件がこの早期妊娠の条項のもとで行われた。

決着は終わっていない。国民投票で物語を閉じるのではなく、それを言うことが誠実さの要求である。二〇二三年に公表されたこの法の運用についての法定の検証は、義務的な三日の間隔の撤廃、医療者の刑事責任の終了を含む変更を勧告し、役務の提供の仕方に障壁があると報告した。勧告の一部は今も実施されていない。憲法上の問いを明快に決着させた国が、六年後になお法律について争っていることはありうる。錠が外れたあとの普通の政治とは、そういう姿である。

この文章に対する反論

以上の読みに対して四つの議論が立つ。ここではそれらをもっとも強い形で述べる。倒せる程度に弱めた版は、何も証明しないからである。

第一は、少数者の権利をめぐる国民投票は危険な道具であり、この文章は結果が好ましかったという理由でそれを称賛する危険を冒している、という議論である。この反論はそれ自体として正しく、この書庫はすでにその証拠を公刊している。オーストラリアについての文章は、少数者の家族生活をめぐる全国的な運動が、その問いの対象となった人々に何を支払わせたかを記録し、自分の正統性についての投票に勝つことは、そもそも尋ねられないこととは同じではないと明言している。台湾についての文章は、同じ主題についての国民投票が逆の結果になったこと、そして立法府がそれを迂回して働かざるをえなかったことを記録している。アイルランドの二〇一五年の運動は、特定の人々の家族についての運動であり、その人々の耳の中で行われた。よく終わったからといって反論が引退するわけではない。またアイルランドの二つの問いを分けておくことにも意味がある。両者は通常、一緒くたにされる。二〇一八年には、多数派が一九八三年に自ら挿入した条項を多数派が解いた。それは住民が自らの行為を訂正することである。二〇一五年には、多数派が少数者に何かを及ぼすよう求められた。それは費用の異なる別種の問いであり、そして第四十六条こそが、それを他の方法では行いえなかった理由である。

第二は、熟議は飾りだったかもしれない、という議論である。査読を経た研究がこの主張を丁寧に立てている。クーランは二〇二一年に、移植可能なきれいなアイルランド模型など存在しないと論じる。諸会議は制度化されておらず、構成も設計もそれぞれ異なり、政治家が議題と予算と、どの勧告が投票用紙に届くかを選び、専門家の集団が投票設問の枠組みに相当の影響力を持ち、手続きについての一般の認知は限られていた。彼はまた、英雄的な説明と据わりの悪い算術も指摘する。制限なしの中絶についての会議の勧告は部屋の中で六十四パーセントを得、国民投票は部屋の外で六十六・四パーセントを返した。これはすでに動いていた国と整合する。この読みでは、会議は、政治家がすでに行きたかった方向へ行くための正統化の装置である。

第三は、原因は別のところにあった、という議論である。エルキンク、ファレル、マリエン、レイディ、スイターは、二〇一八年の出口調査を分析し、年齢と教会への出席が投票の主要な駆動要因であり、毎週出席する層とそうでない層のあいだに大きな差があること、そして年齢の型を世代交代という同時出生集団の効果として読めることを見出している。彼らはまた、市民会議を知っていた有権者ほど賛成に投じる傾向があったことを見出しているが、これは相関であって、会議が彼らを動かしたことの証明ではない。この投票の周囲には、施設内虐待についての国家と教会の十年にわたる調査が座っており、それはある種の道徳的権威に持続的な損傷を与えた。そして帰属の測定可能な変化がある。二〇二二年の国勢調査は、常住人口の六十九パーセントをローマ・カトリックとして記録した。二〇一六年の七十九パーセントに対してである。宗教なしと記録した人は七十三万六千二百十人で、二〇一六年から六十三パーセントの増加だった。ただし統計局自身が、二つの国勢調査のあいだで設問の文言が変わったと注記している。純粋に手続き的なアイルランドの読みは、これらすべてを過小に扱う。管理するのではなく、そう言うべきである。

第四は資格についてである。日本で刊行される出版物が他国の憲法手続きについて称賛をこめて書くことは、特有の虚栄に晒されている。自分が負担しなかった費用を持つ手続きを、自分が決して会うことのない敗者を持つ手続きを、褒めるという虚栄である。二〇一八年に投票した人のおよそ三分の一が負けた。しかも彼らは、三十五年にわたって自国の定まった道徳的約束だと言われてきた条項を失った。それを視野に保てない文章は、自分が何を記述しているのかを理解していない。

二〇二四年三月

この文章に対するもっとも強い証拠は、議論ではない。日付である。

同じ模型で招集されたジェンダー平等についての市民会議が、二〇二一年六月に報告した。その勧告の一つは、第四十一条二項、すなわち女性の家庭内の生と、母と経済的必要についての規定を削除し、性別を特定しない文言に置き換え、国にケアを支える義務を課すべきだというものだった。議会の委員会がそれを取り上げた。政府が条文を起草し、二〇二四年三月八日、二つの提案が国民に付された。一つは、婚姻に基づくか他の継続的な関係に基づくかを問わず家族を承認し、婚姻という制度を守る誓約を削除するもの。もう一つは、第四十一条二項を削除し、家族内のケアを承認して国がそれを支えるよう努めると定める新しい条を挿入するものだった。

双方とも否決された。家族についての提案は百二万千五百四十六票対四十八万七千五百六十四票で、ケアについての提案は百十一万四千四百四票対三十九万三千五十三票で否決され、投票率はいずれも約四十四パーセントだった。これは、二〇一五年と二〇一八年のいずれの賛成多数よりも大きい否決の差である。同じ国、同じ道具、同じ準備の仕組みで、答えは二度、明確に、否だった。

この否決は、実質と同じくらい文言について争われた。第四十一条二項を無くしたいと考えていたが、これはそれを取り除くための正しい言葉ではないと考えた人々によってもそうである。この記述は公の議論の読みであって集計ではなく、この文章はそれを裁定しない。ここで重要なのはもっと単純なことである。熟議する会議は、自由主義的な帰結を生産する機械ではない。それは勧告を生産する機械であり、政府はそれをうまく起草するかもしれないししないかもしれず、国はそれを受け入れるかもしれないし受け入れないかもしれない。望んだ答えが出た年にだけアイルランドの手続きを称賛する者は、手続きを称賛しているのではない。結果を称賛し、その功績を方法に帰しているのである。

したがってこの文章の主張は、実際に支えられる大きさで述べられねばならない。投票の前の熟議はアイルランドを自由主義的にしたのではなく、三つの帰結のいずれをも変えたと示すことはできない。三つのすべてにおいてそれが確実に行ったのは、論証の公的な記録を残すことだった。誰が、誰から、どの順で、何を聞いたか、そして部屋がどう割れたか。二〇二四年において、その記録こそが、双方が相手の動機について物語を発明しなくても、国が何を何ゆえに拒んだのかを言えるようにしているものである。

ポーランド、そして比較の限界

今月この書庫にあるもう一つの国は、反対の決着に、反対の経路で到達した。憲法裁判所が二〇二〇年十月二十二日に、ポーランドで適法に行われていた妊娠終了の大部分が拠っていた事由は憲法に適合しないと判断し、判決は二〇二一年一月に公布されて効力を生じた。どの段階でも誰も投票せず、無作為に選ばれた市民の集まりが事前に資料の前に座ることもなかった。

そのことについて、この文章が言わない三つのことがある。ポーランドの帰結が別の手続きのもとでは違っていただろうとは言わない。それは知りえず、世論調査は国民投票ではなく、国民投票は世論調査ではない。その方向のいかなる主張も、比較の衣装をまとった党派的な当て推量になる。投票であるというだけで投票が正統化するとも言わない。少数者の権利と国民投票についての前の節はそのまま立っており、しかも双方向に立っている。そしてアイルランドの制度がポーランドの制度より優れているとも言わない。それは外国の出版物が下す資格を持つ判断ではない。

この文章が行う比較はもっと狭く、そしてこの書庫の考えでは擁護できる。二つの国は、自国の決着が何の上に乗っているかを、あとから言う位置において異なっている。アイルランドのそれは、誰もが許可なく読める文書の上に乗っている。投票用紙、逐語記録、専門家の意見書、記録された賛否の差、そして選挙区ごとに公表された集計。帰結に同意しない人は、自分が何に同意していないのか、そして誰が自分と一緒に同意しなかったのかを、正確に見ることができる。ポーランドのそれは一つの判決の上に乗っている。これは、自分の私的な生がなぜそう配置されているのかを知りたい市民に、何が手に入るかの違いである。その配置が正しいかどうかの違いではなく、この文章は前者を後者に変換しない。

実際に持ち運べるもの

日本国憲法もまた、国民の同意なしには改正できない。第九十六条は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し、特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票で、その過半数の賛成を必要とすると定める。この手続きは一度も使われていない。この文書は施行以来改正されておらず、そのような国民投票が行われたこともない。道具は紙の上に存在し、それに付随する実践は存在しない。他方、この文章が記述してきた熟議の仕組みには、ここには対応物がまったくない。

したがって誤った教訓は明白なものであり、誰かがそれを引き出す前に名指しておくべきである。ここにあるものは、第二十四条を、あるいは誰が結婚しうるかという問いを、あるいは特定の人々の家族についての他のいかなる問いをも、日本で全国的な運動に付すことを勧めていない。この書庫自身のオーストラリアと台湾からの証拠に照らせば、それは投票の対象となる人々の福利を支出する決定であり、結果がどうであれ支出される。ここでの承認は代わりに、法律により、自治体の証明書により、そしてこの書庫が記録したとおり少数の名前のある原告が担った訴訟により、動いてきた。その経路にも固有の費用があり、それは小さくはない。分布の仕方が違うだけである。

持ち運べるものは憲法より小さく、そもそも公共政策の問題ではない。それは、言いくるめられて至った決着と、自分で理由をたどって至った決着との区別であり、新しい情報が来たときに両者がどれほど違う振る舞いをするかという観察である。アイルランドは一九八三年の立場を、人が相続した信念を持つように持っていた。理由づけが自分のものではなく、点検できないがゆえに、守られなければならないものとして。反対の証拠も含めて資料の前に座ることで到達した立場は、違うふうに持たれる。それは崩れずに改訂されうる。理由づけがまだそこにあり、もう一度たどれるからである。そして意見の合わない相手にも説明できる。説明が忠誠についての争いに変わらずに済む。

この書庫は、宗教が実際にしていたことは主に規則を与えることではなかった、そして規則を取り除いた社会は、その下にあった三つのものを置き換えていない、と論じてきた。アイルランドは、規則が去り、その置き換えの問いが目に見えて未決のままである事例である。二〇二四年の投票が、それが未決である証拠である。スペインについての文章では、カトリックの道徳秩序が欲望の公的な言語に道を譲るとき、古い構造はしばしば消えるのではなく静かになる、と論じてきた。そして法があるべき場所の空白についての文章では、法の不在は誰も守らないと論じてきた。アイルランドは逆向きの失敗であり、同じことを反対側から言う。序列の中であまりに高く置かれ、どの立法府も届かない法の存在もまた、誰も守らなかった。一文を変えるのに三十五年と全国的な運動を要したからである。私的な生についての機能する決着を分けるのは、主にその内容ではない。それに縛られる人々がそれを改訂でき、なぜそう書かれているのかを知りうるかどうかである。

ここにいる読者にとって、その作動する形は私的で、華やかさがない。それは、自分が何を望んでいるかを知っていることと、なぜ望んでいるかを知っていることの違いである。守らなければならない好みと、説明できる好みの違いである。後者は、意見の相違も、状況の変化も、老いていく身体も生き延びる。前者はその三つすべてから保護されなければならない。

この家が売っているもの、自らに不利な形で

この家は夜を売っており、それが憲法手続きについての文章と何の関係があるのかを、まず言っておくべきである。正直な答えは居心地が悪いからである。

この家が実際に売っているのは、熟議された取り決めである。何かが始まる前に書式があり、何を望み何を望まないかの明示的な記述があり、説明なしにすべてを終わらせる一語がある。条件はそれに縛られる本人によって事前に合意され、家の側の誰も、あとからそれを解釈し直す立場を持たない。この文章の語彙で言えば、この家は、理由づけが記録に残り、それを作った女性自身が改訂できる私的な決着を売っている。それはアイルランドの手続きが国家規模で生んだのと同じ財を、一つの部屋で、金銭と引き換えに売ったものである。

したがってこの家は、この文章が記述してきた希少性から直接に利益を得ている。自分が言いくるめられて入った取り決めばかりに出会ってきた女性、家族に、相手に、雇い主に、自分が同意した覚えのない台本に、そう仕向けられてきた女性にとって、書かれた条件と保証された出口のある部屋には値段がつく。この家は、それが彼女の生活の他の場所に無いことから利益を得ている。価値が温かさや技能や、あるいはこの家が功績として認められたいと思う他の何かから来ているように見せるのではなく、それを平明に言うべきである。

そこから、主張してはならないことの一覧が導かれる。ここにあるものは、アイルランドにおいても、ポーランドにおいても、日本においても、いかなる政治的立場のための議論でもなく、この家はいかなる立場も取らない。ここにあるものは、普通の関係が書式と合図の言葉で運ばれるべきだと示唆しない。憲法会議のように運ばれる求愛は不条理であり、この文章自身の要点は、手続きが商業的な取り決めを安全にするのであって、親密な取り決めを良いものにするのではない、ということである。ここにあるものは、誰も条件を差し出さなかった部屋で条件を得る方法を女性に教えない。そして一夜は一生の予行にはならない。正直に差し出せるのは、自分の身体について事前に何かを決めた一回の経験であり、理由づけが保たれ、出口が本物である経験である。その経験が部屋の外へ持ち運べるかどうかは、この家が約束できるものではない。

この文章が主張していないこと

中絶についての立場も、結婚についての立場も主張していない。この家はそれを持たず、持つに足る資格もない。以上のすべては、決定がどう行われ、その行いが何を残したかについてであり、どちらの問いのどちらの側にいる読者も、記録と照らして公正だと確かめられるように書かれている。もしどちらかの方向への擁護論として読めるなら、この文章は試みていたことに失敗している。

熟議が帰結を生んだとは主張していない。証拠はそれを支えず、この文章の一節はそれに反する証拠に充てられている。市民会議が厳密な意味で代表的だったとも主張していない。それは無作為に選ばれた住所から、務めることに応じた人々のあいだで割当により集められ、構成員を失い、そして記録に残る形で一度、募集に失敗した。少数者についての問いにとって国民投票が安全な道具だとも主張していない。この書庫は反対の発見を公刊しており、その発見は、アイルランドの投票がその向きに出たからといって停止されない。

ポーランドの帰結が別の手続きのもとでどうなったかについては、何も主張していない。それは比較全体を支える一文であり、そして一つの拒否である。

個々の事件を語ってもいない。二〇一八年の運動の転機として広く挙げられるあの死も、一九九二年の判決も、名前のある原告や患者も。この省略は意図的であり、理由は二つある。第一に、ここでの主題は手続きであり、一つの物語は、どれほど真実であっても、同じ検証に服することなく百ページ分の論証の仕事をしてしまう。それに動かされた読者は、決定がどう行われるかについて何も示されていない。第二に、資格の問題である。親密さを売る商業的な家は、名前のある女性のいちばんひどい日を、自分の宣伝文の挿絵に使う資格を持たない。その記述を求める読者は、この時期のどの歴史書にもそれが名前とともに載っているのを見つけるのであり、この書庫がそれを供給する必要はない。

法について網羅的だとも主張していない。憲法の条文、国民投票の結果、会議の投票、そして二〇一八年法の主要な条項は原典で読み、そのように出典を示した。役務の実際の運用、法定の検証の未実施の勧告、そして二〇二四年以後の第四十一条二項の行方は生きて動いており、ここにあるいかなる数字も最新の公式の統計に照らして確かめられるべきである。そしてこの文章は、比較する二つの社会のいずれの外側からも、第三の言語で、自分自身との議論がまだ終わっていない国について書かれている。

この問いから、次へ