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Moonlight Journal

言葉にすると壊れそうなファンタジーほど、言葉が必要になる。

大胆な想像力と、正確な現実の境界線は対立しない。後者があるから、前者を安心して持てる。

  • ファンタジーと境界線
  • ファンタジー
  • 同意

寝室で、あるいはそこへ向かう数分の間に起きる、特有の沈黙があります。女性の頭の中に、言いたいことがあって、言わないと決める瞬間の沈黙です。

言うことがない沈黙ではありません。あまりに具体的なものがある沈黙です。想像の中の場面には形があり、速度があり、扱われ方や、話しかけられ方や、見られ方の特定のやり方がある。その形があまりに正確なので、言葉にすることは、誰にも見せるはずのなかった部屋の設計図を手渡すように感じられる。

だから何も言わないか、本当に意味していることより曖昧なことを言い、夜は誰が書いたともしれない台本に沿って進み、あとに残るのは、自分が出席しきれなかった出来事に居合わせたという、奇妙な疲労です。

今月の一文はこれです。想像の中では大胆でも、現実では慎重でいたい。この文章はその後半について書きます。口にすると壊れそうなファンタジーほど、なぜ最も注意深く語る必要があるのか。言えば実現するからではありません。言わなければ、代わりに別の何かが起きるからです。

ファンタジーとは何で、何ではないか

ほとんどの会話が飛ばしてしまう区別から始めましょう。ファンタジーとは、心が生み出す場面です。しばしば不随意に、しばしば繰り返し、しばしば本人が頼んでもいない熱を帯びて。欲望とは、何かが起きてほしいという願いです。二つの重なりは、不安な人も熱心な人も思っているより、ずっと小さい。

近年おこなわれた性的ファンタジーの最大規模の調査、社会心理学者ジャスティン・レミラーが四千人以上の成人を対象に『Tell Me What You Want』で発表した研究は、ほぼ誰にでも同じ一握りの主題が繰り返し現れることを見つけました。複数の相手がいる場面、力や支配や荒い扱いをめぐる場面、新しさと冒険、禁忌、見ること・見られること、ロマンスと情熱、そして自分の普段の指向を越える場面。そして、多くの人が最も頻繁なファンタジーを一度も実行したことがなく、必ずしも実行したいわけでもないことも。

分類:自己選択による大規模な米国成人の調査、自己申告、無作為抽出ではなく、日本人でもない。支持すること:ファンタジーの主題はありふれていて、共有されていて、それを持つ人に何か問題がある証拠ではない。そして、場面を空想することと、それが起きてほしいと望むことは別の行為である。支持しないこと:四十代の日本の女性が同じ分布の主題を持つとか、個々のファンタジーが彼女の取るべき行動を教える、ということ。

この区別が重要なのは、最初の恐れを取り除くからです。圧倒される自分を想像する女性は、圧倒されたいと宣言しているのではない。家が燃える場面を想像する女性が火事を頼んでいるのではないのと同じように。心は熱を帯びた場面を予行演習する。予行演習は依頼ではない。

そこから導かれるのは「だから胸にしまっておけ」ではありません。「だから、言葉を使うなら、その言葉がこの区別を運ばなければならない」です。下手に言われたファンタジーは依頼に聞こえる。うまく言われたファンタジーは、それが実際にそうであるもの、内側についての報告、それに基づいて行動しないと信頼された誰かに差し出された報告、として聞こえる。

なぜ、いちばん難しいものに、いちばん多くの言葉が要るのか

女性が言いたいかもしれない二つのことの違いを考えてみてください。ひとつは、ゆっくりが好き。もうひとつは、自分が何ひとつ決めない場面が頭の中にあって、それをどれほど望んでいるかが少し怖くて、本当に望んでいるのか、望みたいだけなのか、分からない。

最初のものは曖昧でも生き延びます。「少しゆっくり」と聞き違えられても、ひどいことは何も起きない。二つ目は生き延びません。聞き違えられれば、それは彼女が同意していないことへの許可になるか、あとで恥じる告白になるか、相手が彼女についていま信じていて簡単には訂正できない何かになる。ファンタジーの熱が高いほど誤解の代償は高く、だからこそ、より正確に言われなければならない。

これは、多くの人のやり方の逆です。熱の高いファンタジーこそ、口ごもり、ほのめかし、察してもらうことを願う。穏やかな好みのほうを、はっきり言う。本能としては分かります。熱の高いファンタジーは危険に感じられ、口ごもることは損害を限定する方法に感じられる。しかし口ごもりは損害を限定しません。解釈を他人に移すだけです。

原則は経験則として述べられ、Moonlightが内部で使っているものでもあります。誤読されることで損なわれるファンタジーほど、何かが起きる前に、境界線を同じ息で述べながら、書き留めるか、ゆっくり声に出す価値がある。「縛られるファンタジーがある」ではなく。「縛られるファンタジーがある。今夜縛られたいわけではない。それについて話して、何でできているのか見てみたい。もし何か試すことがあるとしたら、私の限界はこれ」。

この文はロマンティックではありません。ファンタジーが売られる方法、言葉のない奔流としてあなたに起きるもの、の正反対です。しかし言葉のない奔流は商品であり、それを買った女性たちは、言葉のない部分こそ害が住む場所だと知ることになりがちです。

a steel pen nib with a split tip, its shoulders brighta steel pen nib with a split tip, its shoulders bright
大胆であるほど、言葉が要る。

日本語の語彙の問題

日本の女性は、消費におけるファンタジーの語彙が異様に豊かで、会話におけるファンタジーの語彙が異様に貧しい。

消費の側は巨大で、正常化されています。レディースコミック、ボーイズラブ、ティーンズラブ、女性向けアダルトビデオ市場、きわめて露骨な力関係の場面を持つ恋愛小説。そのすべてがコンビニで、スマートフォンで、公然と買われる。「妄想」という言葉が、それを無害にする文化的な仕事をしている。空想、ちょっとした楽しみ、友人と笑って話せるもの。女性は頭の中の場面をそのまま描いた本棚を持っていて、その場面を一度も他人に声で言ったことがない、ということがありうる。

会話の側は、ほとんど空です。パートナーに「私が想像しているのはこれ」と言うための、普通の語り口が存在しない。使える言葉は、臨床的で診断に聞こえるものか、ポルノ的で演技に聞こえるものか、照れ隠しで冗談に聞こえ、冗談として受け取られるものか。特に結婚している女性は、性生活が家庭の暦を軸に組み直されていることが多く、この種の一文がどちらの方向にも語られないまま何十年も過ぎることがある。

セックスレスの結婚は、他のほとんどの国にはない仕方で、ここでは一つの区分です。家族計画の団体の調査は何年も、既婚カップルのおよそ半分を「今月はなし」の欄に置いてきました。数字は自己申告で定義依存ですが、それが指す文化的な事実は疑いようがない。非常に多くの女性にとって、寝室は長いあいだ何も語られていない場所です。その沈黙の中で、ファンタジーには行き場がない。安全で不活性な消費のチャンネルに留まるか、名前のない恨みとして結婚の中へ漏れ出す。

これは構造の問題であって個人の失敗ではなく、どの構造がそれを生むのかを言っておく価値があります。会話のための一時間も残さない無償のケア。内側の天気で他人を煩わせないという規範。女性の性的な具体性が、存在すると想定されていなかったために一度も尋ねられなかった恋愛と結婚の文化。そして、彼女がひとりで消費する限りは喜んでファンタジーを売るメディア経済。

第二言語での、同じ問題

言語の境界をまたいで日本に暮らす女性にとって、問題はもう一度折り重なります。

第一言語ではファンタジーの語彙があり、パートナーはその言語を話さないかもしれない。仕事には十分で、教科書が教えない語り口を要する、その一文には足りないだけ日本語を覚えたのかもしれない。あるいは、そのファンタジーは暮らしている国に形づくられて第二言語にしか存在せず、故郷の誰かに訳し戻すと自分が自分に見知らぬ人のように聞こえる、と気づくかもしれない。

フェティッシュ化される、という特有の危険もあります。日本にいる外国の女性が自分のファンタジーを声に出すとき、それが彼女のものとしてではなく、聞き手が「彼女のような女性」についてすでに信じていた何かの確認として聞かれる危険。最も明晰な言葉は、ここでも彼女の防具です。境界線を添えて述べられたファンタジーは、ほのめかされたものより横取りしにくい。境界線は所有の主張だからです。これは私のもので、ここがその縁で、あなたは招かれているのではなく、告げられている。

実践的な注記をひとつ、ここに。共有する言語で言えないなら、第一言語で書いて、一緒に、ゆっくり訳し、訳を確かめればいい。それはロマンティックでないのではない。扱っているものが壊れやすいとき、二人の大人がすることです。

明晰さは、実際にはどう響くのか

「正確に言え」と言うのは簡単で、女性が実際に口にできる一文の中で正確さがどう響くのかを知るのは難しい。だから、熱を帯びたファンタジーの明晰な表明がたいてい持つ三つの部分を、たいてい必要になる順に挙げます。

報告。これが私の頭の中にあるもの。内側の描写として、現在形で、望むという動詞をつけずに述べる。私には、尋ねられるのではなく告げられる、という場面が繰り返し浮かぶ。報告の仕事は、今夜について何もほのめかさずに存在することです。

境界線。これについて、私が起きてほしいこと、ほしくないこと。今夜は何も。あるいは、話したいだけで他は何も。あるいは、その小さな一部なら、この部分なら試してみたい、そしてこれが止める言葉。境界線の仕事は、聞き手が埋める前に報告と依頼の隙間を閉じることで、報告を言って安全なものにすることです。

試験。私が知りたいこと。それが扱われることについてなのか、選ばれることについてなのか。昼の光に耐えるのか。口にすると変わるのか。試験の仕事は、聞き手に演者以外の役、命令の執行者ではなく、証人、あるいは探究の協力者という役を与えることです。

聞き手にも仕事があり、ほとんどの聞き手は一度も教えられていないので、名指す価値があります。報告を招待として扱わずに受け取ること。境界線を繰り返して、二人ともがそれを聞いた状態にすること。試験が何なのかを、決めつけずに、尋ねること。この三つができない聞き手は、どれほど愛されていても、まだその一文を言って安全な相手ではない。

これは暗唱する台本ではありません。形です。形に慣れれば、女性は自分の言葉で、持っているどんな調子でも、照れ隠しの調子でも、三つの部分がどこかに全部あるかぎり、それを埋められる。

a pair of brass calipers set to a measurement and lockeda pair of brass calipers set to a measurement and locked
外側が正確だからこそ、内側は大胆でいられる。

沈黙を選ぶ理由

誠実な文章は反対側にも言葉を与えなければならず、本物の反対側があります。

言わないほうがいいファンタジーもある。持ち主の孤独に依存している場面は、観客に耐えられないかもしれない。口にした途端にファンタジーが働かなくなることに気づく女性はいて、その喪失は本物です。言葉は、名づけたものを殺すことがある。

間違った聞き手に言えば危険なファンタジーもある。「圧倒される自分を想像する」を指示として聞く相手は、同意について自分に語る物語をいま手に入れた相手です。明晰に語れという助言は、報告と依頼の区別を聞き取れる聞き手を前提にしていて、すべての聞き手がそうではない。

そして「とにかく言え」自体が強制になりうる。健全な女性とは自分の内側をすべて言語化した女性だ、という治療的な開示の文化は、もうひとつの台本であって、古い沈黙より明らかに親切とは言えない。女性には、それが何かの失敗になることなく、ファンタジーを永遠に言わないでいる権利がある。

これはすべて本当で、論を一つの点で変えます。要点は、ファンタジーを言わなければならない、ではない。もし言うなら、あるいはどんな程度であれそれに向かって行動するなら、明晰さは熱に見合っていなければならない、です。沈黙は正当な選択です。曖昧さは選択ではない。委任であり、委任される相手は、それを持つべき人であることはめったにない。

イエス、メイビー、ノー

Moonlightの立場を、立場として。ファンタジーと何らかの行動との間隔こそ言葉の居場所であり、多くの女性は、先へ進まずに聴くことが仕事である相手と、その間隔を過ごしたことが一度もない、と。

私たち自身の実践はこの上に組まれています。どんな体験の前にも、Desire & Boundary Map を書きます。望むこと、望むかもしれないこと、望まないこと。各項目はイエスかメイビーかノーで、メイビーは決してイエスとして扱われない。この地図はメニューではなく、何かが起きるための契約でもない。その時点で女性が持っている最も明晰な言葉を、圧力の下で言い直さなくて済むように記録したもので、途中を含めいつでも書き換えられる。

この構造は、まさにこの文章が描いている理由のために存在します。いちばん言いにくいファンタジーは、聞き違えられたときにいちばん大きな損害を出すものです。時計のない部屋で、事前に、境界線を添えて書き留めることが、それを依頼にせずに言う方法です。

私たち自身に向ける異議は、対価を払う限られた文脈は、語ることを実際より安全に感じさせ、その規則に同意していないパートナーとは再現できない明晰さを女性に教えてしまいうる、というものです。それを受け入れます。文脈にできるのは、その一文がそもそも言えるものだと彼女に示し、自分の声でそれがどう響くかを聴かせることです。そのあとで、結婚の中で、関係の中で、ひとりの人生の中で、その一文をどうするかは、彼女のものです。

内側は大胆に、外側は正確に

今月の一文を、もう一度。想像の中では大胆でも、現実では慎重でいたい。

ひとつの読み方では、これは妥協です。境界線が何も起こさないから、想像力は走ることを許されている。もうひとつの読み方では、その逆です。境界線こそが大胆さを払える値段にする。自分の縁がどこにあるか正確に知っている女性は、何を想像しても構わない。想像したものは何ひとつ、彼女が言わない限り、その縁を越えられないからです。

いちばん言いにくいファンタジーは、たぶんいちばん大事なもので、たぶん曖昧にしておくことで守ってきたものです。曖昧さは守ってくれません。もしそれが表に出たとき、その意味を誰か他の人が決めることを保証するだけです。

正確に言うか、まったく言わないか。どちらもあなたのものです。口ごもりは、誰のものでもない。

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