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Moonlight Journal

彼女は、自分の好きなものを、されることとしてしか語れない。

  • 官能
  • 自己理解

官能をめぐる恥は、深くなったのではない。表面を持ったのだ。彼女の祖母には、誰にも確かめようがなく、どの機器も記録しない私的な好みがあった。彼女にあるのは、検索の履歴と、購入と、すでに何かを推測し、誰かの前でそれに基づいて動くかもしれない推薦の仕組みだ。かつてただ口に出せなかったものが、いまは読み取れるものにもなった——そして、かつては好みをまるごと自分の内に留めておけた女性は、いまや、それが記録の中にあるままで人から隠しておくことになる。それは別の仕事であり、別の種類の胆力を要する。

彼女はタブを閉じる。急いでではなく、正確には後ろめたさからでもなく、階段に人の気配を聞いたときに何かを棚へ戻すときのような、小さく意図的な動きで。それから履歴を消し、それから、そのあとに来る独特の平坦さとともに一瞬座っている。それは後悔ではなく、正確には恥でもない。疲れに近い。彼女はこれを、たぶん二百回してきた。

その数分のあいだに起きたことの何ひとつ、悪くも、違法でも、珍しくも、誰かを害しもしていません。彼女は自分の惹かれるものを見た。そのあと彼女がしたこと——閉じること、消すこと、あの一瞬——は、まるごと第二の活動であり、無償で、自動的で、毎回欠かさず遂行されるものです。そして彼女の祖母は、自分なりに惹かれるものがありながら、それを一度も遂行する必要がありませんでした。

この文章は彼女の側から、現代の暮らしが官能と恥に何をしたかを問うワークブックの行の上で書かれ、一つの狭い主張をします。恥そのものは深くなっていません。女性はこれをたいへん長いあいだ感じてきましたし、この書庫はすでに、その感情がどこから来て何がそれを溶かすのかについて公にしており、この文章はそれを帰し、繰り返しません。変わったのは表面です。彼女の好みはいまや記録され、推測可能で、読み取れるものになりました。そして読み取れるものになった私的な何かは、別の問題であり、別の種類の胆力を要します。

口に出せない、そしていまは読み取れる

一九七五年に、具体的な官能の好みを持つ女性の立場を考えてみてください。それについて話すことはできませんでした——いまと同じか、もっと悪い。しかしその好み自体は、もっとも文字どおりの意味で、確かめようがありませんでした。それは彼女の頭の中にありました。購入の足跡はありません。何を買うにも現金と紙だったからです。検索もありません。検索するものがなかったからです。誰にも言わなければ、誰にも知りようがなく、それは、尋ねられるかもしれない未来の自分自身も含めてでした。

タブを閉じる女性には、そのどれもありません。彼女の好みは、頭の外に形を持っています。検索欄の中に、妹に見せた何かの隣に現れた推薦の中に、返品の伝票とともに箱で届く購入の中に、作ってしまい、いまや手続きなしには消せないアカウントの中に。彼女は誰にも言っていません。それはもう、誰にも知りようがないことと同じではありません。

この区別が重要なのは、二つの状況が彼女に求めるものが違うからです。口に出せないことは沈黙を要し、それは受動的で、費用なしに無期限に保てます。読み取れることは管理を要します。消すこと、プライベートの窓、別のアカウント、どの機器かという計算、この書庫が別の文脈ですでに無償の労働として記述した、小さく続く警戒。彼女は祖母が持たなかった仕事をしており、しかもそれを、祖母が無料でいた場所とまったく同じ場所にとどまるために、しているのです。

それが、現代の暮らしがここで変えたもののすべてであり、それで十分です。感情は古い。保守が新しい。そしてその保守こそが、ありふれた私的な好みを、誰にも説明できない仕方で、何かをうまくやり過ごしているような感覚にするのです。

もう一度、もっと小さな部屋での文法

気づく価値のあることがもう一つあり、この書庫の読者ならそれと分かるでしょう。女性に何が好きかを尋ねると、出てくる文はほとんどいつも受け身です。押さえつけられたい。見られたい。世話をされたい。どうすればいいか言われたい。この書庫はすでに、女性の他人についての望みは受け身の態で活用されており、それは不在ではなく稽古のなさだと論じました。その議論は、ここで繰り返されるものではなく、土台です。

付け加える価値があるのは、それがこの特定の部屋で何をするか、です。彼女の好みは受け身でしか言えないために、それは、彼女が好むものとしてではなく、彼女に起こることとして聞こえてきます——そしてその文法上の偶然が、彼女がそれをどう判定するかにおいて、途方もない量の仕事をします。好みは選択のように聞こえ、自分のものにできます。あなたに起こることは、弱さのように、あるいは症状のように、あるいは何かをされたことのように聞こえ、そのどれも、人が誇りを感じるものではありません。

こうして彼女は、受け身としてしか言い表せない好みを抱えることになります。女性の受動性を、弱さか診断かのどちらかとして扱う文化の中で。そして私的には、これが何であれ弱さではないと知りながら。探しに行ったのは彼女自身だからです。彼女が知っていることと、手に入る唯一の文とのあいだの隔たり。タブを閉じたあとのあの平坦さの多くは、実際にはそこに住んでいます。

好みを情報として扱う映画

この行に種として与えられた映画は、ここではただ一つの構造的な判断のためにのみ読まれます。それは、たいへん具体的で型にはまらない好みを持つ女性についてのものであり、そこで異例なのは内容ではありません。映画が彼女の好みを、原因まで辿られ治されるべき症状としてではなく、彼女が誰であるかについての情報として扱っていることです。それは、その稀さを名指す価値があるほど稀なことです。

ほとんどの物語における既定の扱いは逆です。女性の異例な好みが示され、それから物語はそれを説明しにかかります。彼女に何かが起こったのであり、その何かが解決すれば好みも解消する、と。その構造は、決して述べられない一つの前提を運んでいます。すなわち、その好みは、人についての事実ではなく、来歴を持つ故障である、という前提です。その構造の物語を千本吸収した女性は、自分自身の好みに気づいたとき、ただちに自分のどこが悪いのかを探し始めるでしょう——訓練されてきた形式が、次に来るのはそれだと告げているからです。

誠実な限界は、ここではいつも以上に重要です。これは映画であり、人々によって作られ、登場人物についてのものであり、何かの模型ではなく、模型として差し出されてもいません。成人同士の取り決めを描いており、この文章はそれについて立場をとらず、何も勧めず、描かれる実践について何も主張しません。ここで読まれるのは構造上の点だけです。女性の好みが症状ではなく情報であることを許される物語は、その珍しさ自体が観察になるほど珍しい、ということ。

欲することが道であった、より古い枠組み

この行に種として与えられた本は、異なる出発点に立った諸伝統についての学術の系譜に属します。身体とその欲することは、克服すべき障害ではなく、規律とともに歩まれるべき道である、という出発点に。この資料室にはその伝統についての一篇があり、日本自身の密教についてのもう一篇があり、歴史の仕事はそちらに属します。

ここで差し出されるものは限られており、正確であるべきです。それは誰かの特定の好みを正当化しませんし、官能を聖なるものにもしませんし、女性の好みが霊的に意味を持つということでもありません。それらはまさに、ウェルネスの市場がこの素材でする動きであり、誠実には取りえないものです。主張はただ、彼女が育った内側の前提——欲することは管理すべき欠陥である——が事実ではなく一つの立場であり、大きく、真剣で、古い諸伝統は別のところから始めた、ということだけです。

留保はつねにそれとともに走ります。この書庫ではいつもそうです。これらは解脱についての宗教的な主張であり、入門と年月の修行を要する体系の内側でなされたものです。自分についてよりよく感じることについてのウェルネスの主張ではなく、読むことは受けることではありません。女性が受け取れるものは小さく、そして実在します。自分の身体は問題だという考えは、身体についての発見ではありません。それは一つの伝統の立場であり、彼女はそれが立場であると告げられないまま吸収したのです。

はしたない——可視性に向けられた語

この国には、精密な何かをしている、見る価値のある語があります。はしたないは、ふつう見苦しい、不作法だと訳されますが、実際にどう使われているかに耳を澄ませると、それはほとんど決して行為そのものについての判定ではありません。その行為が見えていることについての判定です。歩きながら食べること。大きすぎる声で笑うこと。座り方。あからさまに何かを欲しがること。

その狙いこそが興味深い部分です。行いを標的にする語はこう言います。これをするな。可視性を標的にする語は、もっと狭く、もっと奇妙なことを言います。どうしてもならしてよい、ただし見られるな、そしてとりわけ、それを欲したことを見られるな。この語を吸収した少女は、ある特定の技能を身につけます。それは自制ではありません。欲求の隠蔽であり、それは別のものであり、別の帰結を持ちます。

それを、この文章が冒頭で述べた変化の隣に置けば、衝突は明らかです。彼女は見られないことに向けられた語彙のなかで訓練され、それから、どの世代よりも自分の多くが読み取れる生活を手渡されました。指示と環境が、同じ一人の女性の内側で逆方向に引っ張り合っていて、そして彼女はその緊張を、構造の問題としてではなく、自分にはとりわけ恥ずべき何かがあることの証拠として経験します。

ここで国民性について何も主張しません。どの言語にも、行いより可視性を取り締まる語があります。観察は、この特定の語の狙いについてであり、検索履歴の管理も同時にしている女性にとって、それが何を要するかについてです。

あなたが誰にも負っていないもの

あなたは、好みがどこから来たのかの説明を誰にも負っていません。相手にも、友人にも、そして午前二時に、説明を要さない好みを説明するための子ども時代の理論を組み立てている自分自身にも。起源の物語を求める要求は、文化がすでに疑わしいと決めたものに対してしかなされません。そしてあなたはおそらく、自分の音楽の好みがどこから来たのかを、一度も自分に尋ねたことがないはずです。

あなたはまた、第二の仕事も誰にも負っていません。消すこと、プライベートの窓、別のアカウント——そのすべてを続けてよいのです、まったく正当な理由のために。そして、それが労働であること、誰もあなたにそれを割り当てていないこと、そしてそれが存在するのは、あなたに隠すべき何かがあるからではなく、産業があらゆるものに記録を組み込んだからだということに、気づいてよいのです。

そしてあなたは、受け身の文も誰にも負っていません。好きなものを、されることとしてしか言えないなら、それは、あなたがどれだけの主体性を持っているかについての事実ではなく、手渡された語彙についての事実です。探しに行った女性と、その文の中の女性は、同じ一人です。ただ、文法が置き去りにしたほうなのです。

この家が売るもの、そして負うもの

まず言っておくべきは、この家が、この文章がずっとそのまわりを回ってきた部屋を売っている、ということです。反応が彼女に何の代価も負わせない相手に、好みを声に出して言える場所。それがこの提供の核であり、それは本当に希少であり、そしてそれを売る家は、彼女がほかのどこでもそれを言えないままでいることに、直接の利害を持ちます。

だから義務を記録します。この家はどの好みも症状として扱わず、それがどこから来たのかの説明を、求められてもそうでなくても差し出しません。彼女が埋める地図は、何を望み、望むかもしれず、望まないかを尋ね、来歴も理由も尋ねません。彼女が書くものは、解釈されるべき打ち明けとしては扱われません。そして家は、好みに品位を与えるために霊的な語彙を使いません。古い諸伝統についての素材は、留保をつけたまま資料室に留まり、女性に、あなたの特定の好みは聖なるものだ、意味深いものだ、何かの証拠だと告げるために持ち出されることは決してありません。

第二の義務は、読み取れることの問題に属します。この家がいまや、まさにこの文章の扱っている種類のものの記録を持つ場所の一つだからです。何が保持され、どれだけの期間、誰が見られるのか。それは彼女が何かを決める前に、それぞれ一文で答えられます——この書庫が彼女に、ほかの全員へ要求せよと告げたのと同じ基準を、彼女の好みの地図が書かれて存在するここに、当てはめて。

そして限界。ここでの一夜は、一つの文が稽古できる部屋です。ほかの場所で記録されているものを減らしはせず、検索の履歴を取り消しもせず、第二の仕事をなくしもしません。できるのは、それを声に出して言うことが彼女に何の代価も負わせない唯一の場所であることです。それは小さく、そして無ではなく、そしてこの家が主張すべきちょうどの分量です。

この文章が主張しないこと

この文章は臨床・性の健康・心理の指導ではなく、処置を記述しません。好みが女性自身にとって苦しいところ、強迫と絡み合っているところ、あるいは同意していない誰かが関わるところでは、問いはこの文章が立てているものではなく、資格のある人の領分です。ここで論じられるすべては成人に関わり、終始、同意を前提としており、ここにあるものは、どの特定の実践も是認せず、勧めず、評価しません。ここにあるものはセキュリティの助言ではありません。記録を管理するための道具も、設定も、方法も挙げていません。

感情そのものについての説明——性にまつわる恥がどこから来て、何がそれを溶かし、なぜ恥の文化という語を慎重に扱うべきか——は、この書庫の既存の恥についての資料に帰され、意図的に繰り返されていません。この文章が扱うのは、露出の変化だけです。受け身の態についての議論は、この書庫の以前の文章に帰され、蒸し返されるのではなく土台として使われています。映画は一つの構造的な判断のために読まれ、作り手や演者について何も主張せず、そこに描かれる取り決めについて立場をとりません。古い諸伝統についての素材は、その学術の水準で資料室から取られ、つねの留保を伴います。これらは入門を要する宗教的な主張であってウェルネスの主張ではなく、読むことは受けることではありません。はしたないは、行いではなく可視性に向けられた語として読まれ、国民性についての主張はなく、どの言語にもそうした語があるという明示の注記を伴います。

この家についての節は、まずその利害を名指し——言えないことが言える部屋を売っており、彼女がほかで言えないことから利益を得ている——それから義務を記録しています。どの好みも症状として扱わないこと、来歴も理由も尋ねないこと、好みに品位を与えるために霊的な語彙を使わないこと、記録についての三つの問いに彼女が決める前に答えられること、そして一夜はほかの場所で記録されているものについて何も変えないと明示すること。何も約束されません。

ほかの章から読む

『シンプルな情熱』と、恥の置き場所がない文体四十代後半の女性が、妻のある男からの電話を待つことだけに生活のすべてが編成された一年半を記録する。短く、平坦で、いかなる慰めも拒む本である。その達成は、彼女を弁護したことではない。恥を置く場所がない文体で書かれたことにある。それは議論よりも難しく、そして日本語で読み書きする者にとって、もっとも手元にない道具である。『グッド・ラック・トゥ・ユー、レオ・グランデ』と、望むことへの許可生涯を他人の適切さを取り仕切ることに費やした女性が、ホテルの一室に一覧を持って現れる。正当化なしに望むことを許されてこなかった人が持ってくるのが、一覧だからである。境界のある部屋が何を言えるものにするのか。鏡は実際に何を論じているのか。そして境界のある一晩を売る家が、この映画を読む前にその利害を申告しなければならない理由。ブラジル。公開で交渉し直されている取り決めと、そこに女性が持つ余地この書庫に並ぶ他のどの社会も、性についての規則を、すでに死んだ人々から受け継いだ。ブラジルはそれをいま交渉し直している。十二年で八ポイント動いた国勢調査のなかで、番号と提出者を持つ法案のなかで、双方の言い分を同じ一枚に書き込んだ司法判断のなかで。分かりやすい読みは、カトリックから福音派へ、ゆえに自由から保守へ、というものである。記録はそれを拒む。ここにいる読者が受け取れるのは予測ではなく、一つの比較である。規則が声高で争われているとき、女性の動ける余地はどうなるのか。規則が静かで前提にされているとき、それはどうなるのか。声高な規則は、彼女に相手を与える。静かな規則は、彼女に天候を与える。

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