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『82年生まれ、キム・ジヨン』と、借りるしかなかった声
帰省の最終日、夫の実家の台所で、若い母親は映画のなかでいちばん明晰な一文を自分の母の声で口にし、そのことを覚えていない。欠けていたのは言葉ではなく、それを自分として言える立場であり、原作よりやわらかいこの映画は最後に、彼女の名前が刻まれたペンを本人の手に渡す。
韓国で「名節」と呼ばれる、旧正月や秋夕のような大きな祝日の連休も、終わりに近い。キム・ジヨンは前の日から、釜山にある夫の実家で立ちっぱなしだった。大勢のための料理。祭祀のあとの片づけ。洗い物。朝は、義母がもう台所で動いている気配に気づいて、あわてて起き出した。贈り物もあった。大事そうに手渡された包みの中身はエプロンで、銀行が配っていた粗品だった。あなたのために長い列に並んでもらってきたのよ、と義母は言う。
荷物はもうまとめてある。あと数分で、自分の実家へ向かえる。そこへ、義母の娘が家族を連れて帰ってくる。祝日に、自分の母親のもとへ。義母は娘に、座って休んでいなさいと言う。ジヨンには、チヂミを温め直して果物も出してちょうだいと言い、それから満面の笑みで、疲れているなら向こうで横になっていいのよ、と付け加える。
ジヨンはエプロンをはずし、部屋のほうへ向き直る。口から出てくるのは、彼女自身の声ではない。母の声だ。口調も、間の取り方も、母親が相手方の母親に向かうときの礼儀まで、そのままに。わたしだって娘に会いたいのです、帰していただかなければ会えません、と彼女は義母に言う。
部屋が静まり返る。夫は彼女を連れて車へ向かう。あとになって、ジヨンは何ひとつ覚えていない。
キム・ドヨン監督が二〇一九年にチョ・ナムジュの小説を映画にした『82年生まれ、キム・ジヨン』で、多くの人の記憶に残るのはこの場面だ。そしてたいてい、おとなしい女性がついに壊れた瞬間として語られる。けれども、もう一度見てほしい。あの台所で壊れたものは何もない。あの一文は、この映画で誰かが口にする言葉のなかで、いちばん明晰だ。礼儀正しく、正確で、反論のしようがない。問題は、誰が言うかだけだった。嫁が言えば恩知らずになる。ジヨンの母が、娘の嫁ぎ先の母親に向かって言えば、母親から母親への、ごく当たり前の頼みになる。韓国語には、結婚した二人の母親どうしが互いに使う、対等な敬意のこもった呼びかけがあり、あの一文はその呼びかけから始まっている。
この文章が言いたいのは、そのことだ。ジヨンは言葉を失った女性ではない。言葉は無傷のままそこにあり、口に出たときには、ほかの誰の言葉よりも鋭い。欠けているのは立場のほうだ。本当のことを、不満とも、恩知らずとも、わがままとも聞かれずに、一人称で言える場所。だから言葉は、その立場をもつ女性たちの声を借りて出てくる。そして映画は、やわらかなやり方で、彼女が自分の立場を少しずつ手に入れていく話になっている。
この先について、そして物語のあらまし
この文章は、結末を含めて映画の全体に触れ、その結末を、まったく違う小説の結末と並べて考える。先に映画を見ておきたい人は、そうしてから戻ってきてほしい。この文章は、ここで待っている。
あらましは短くてすむ。映画の出来事は、わざと小さく作られているからだ。ジヨンは三十代。会社員のチョン・デヒョンと結婚し、幼い娘と家にいる。出産のために、好きだった広告会社の仕事を辞めた。そこには、ただひとりの女性チーム長キム・ウンシルがいて、ジヨンは彼女に憧れていた。いまの毎日は洗濯と食事の支度と公園で、誰に聞かれても、夫に聞かれても、大丈夫と答える。
追い詰められると、彼女はほかの女性として話しだす。とりわけ印象に残るのは、自分の母と、亡くなった祖母の声だ。あとで本人は何も覚えていない。怯えたデヒョンはその様子をひそかに撮りため、ひとりで精神科医に相談に行く。見たことを妻に打ち明ける代わりに、医師の名刺を渡す。ジヨンは受け取るが、診療費の高さに足を運ばない。
もう一度働きたい。独立して自分の会社を立ち上げたキム・ウンシルが復帰の道を示し、デヒョンは、出世に響くと知りながら一年の育児休業を取ると申し出る。それを知った義母は激怒し、息子の将来を邪魔する気かとジヨンに電話で詰め寄る。シッターは見つからない。兄弟を進学させるために自分の学業をあきらめた母ミスクは、娘が別の人の声で話すところを目の当たりにして泣き崩れる。ジヨンは仕事をあきらめる。
なぜそこまで医者に行かせたがるのか。ついにそう問いただしたジヨンに、デヒョンは撮りためた映像を見せる。ジヨンは動揺しながらも、まず何をすればいいのかと尋ね、治療を始める。家でも職場でも自分をすり減らしてきたものについて語りだし、別の人の声は少しずつ遠のいていく。ふたたび見知らぬ人たちに嘲られたとき、彼女は言い返す。弟が、名前を刻んだ万年筆を贈ってくれる。ジヨンは書きはじめ、文章が雑誌に載るようになり、映画は、机に向かって自分の本を書きはじめる彼女の姿で終わる。
起きることは、ほとんどこれで全部だ。この映画の重さは出来事にはない。誰が、誰に、何を、誰の声で言ってよいのか。重さはそこにある。
部屋でいちばん明晰な声は、別の人のものだった
別の人の声で話す場面を並べてみると、ひとつの型が見えてくる。どの声も、ジヨン自身には言えないその一文を言うだけの立場をもった女性のものなのだ。
祝日の席の義母には、自分の母として話す。親から親へ、である。一度は夫に向かって、大学時代の友人で、すでに亡くなった女性として話し、奥さんがいまどんな様子で、あなたに何と言ってほしがっているかを伝える。友人ならそれを言える。妻が自分で求めれば、ほめてほしいとせがんでいるように聞こえてしまう。そして母ミスクには、ミスクの亡き母として話し、過ちを犯した本人にしか言えないことを言う。その場面には、あとで戻る。観客が泣いたのは、そこだった。
韓国の批評家たちも、その落ち着きに気づいていた。韓国映像資料院のデータベースに寄せた文章で、批評家のチョ・ヘヨンは、別の人の声で話すときのジヨンは、きわめて理性的に、筋道を立てて意見を述べると書いている。借りられた声は乱れていない。整っている。小説の英訳者ジェイミー・チャンは、訳しながら、なぜ声を上げないのか、なぜ何か言わないのかとキム・ジヨンに問い続けていたと、イギリスの公共放送に語った。映画の答えは、彼女は言っている、というものだ。ふさわしい相手に、ふさわしいことを、正確に。ただ、自分として言うことだけができない。
キム・ドヨン監督は、この映画を、自分の言葉を失った女性が言葉を見つける物語だと説明している。別の人の声の場面が示しているのは、少し違う一文ではないだろうか。言葉は失われていなかった。ずっとそこにあって、整えられ、出番を待っていた。足りなかったのは、使うことを許された口のほうだ。
この文章がしないことも、書いておく。映画はジヨンを精神科医のもとへ行かせ、診察の場面もいくつか見せる。けれども、彼女に起きていることにどんな名前をつけるかを観客に求めてはいないし、この文章も名前を差し出すつもりはない。別の人の声で話すのは、この映画の仕掛けだ。仕掛けは、診断しなくても読むことができる。映画が見せているもので十分だろう。追い詰められると別の女性の声で話し、あとで何も覚えていない一人の女性。そして、知ったあとには、助けを求める女性。
「大丈夫」という方針
こうしたことすべての代わりにジヨンが使う言葉が、「大丈夫」だ。夫にも、たずねてくる誰にでも、そう言う。韓国での宣伝文も、この一語を軸にしていた。何があっても、彼女は夫にただ笑って、大丈夫と言う、と。二〇二〇年十月に日本で公開されたときの配給会社のあらすじでも、彼女は夫にも自分にも、疲れているだけ、大丈夫、と言い聞かせている。この図書室の以前の文章『全部を抱えている女性は「大丈夫」なのではなく、上手いだけだ。』は、有能さを、疲労がこれまで着たなかで最も説得力のある変装と呼んだ。大丈夫は、その変装のいちばん飾りのないかたちだ。
大丈夫は嘘ではない。方針であり、それなりに筋の通った方針だ。手の届くところにある本当の言葉には、どれも値札がついている。仕事が恋しいと言えば、子どものことで不満を言っているように聞こえる。疲れたと言えば、同じように疲れている夫を責めているように聞こえる。もう帰りたいと言えば、いま立っている台所の家族を見下しているように聞こえる。大丈夫なら、今日は何も払わなくていい。支払いはあとで来る。払うのは彼女だ。
この方針が何を支えているのか、映画は正確に見せる。辞めた仕事は、彼女が得意で、好きだった仕事だった。ああなりたいと思うチーム長もいた。戻る道が開きかけると、試したことのある人なら誰でも知っている計算が、四方から一度にやってくる。その計算のなかに悪人はいない。見つからないシッター。本気で、しかも夫自身が代償を払うことになる育休の申し出。息子の将来のことで電話をかけてくる義母。一人ひとりはまっとうで、それが合わさると壁になる。
映画は、夕暮れのベランダに立つジヨンの後ろ姿から始まる。日が暮れるころ、ときどき胸がどすんと沈むのだと、彼女は言う。小さな台詞だが、多くを語っている。不幸せは、一日のうちの時刻の話として片づけられている。まるで天気のように。
映画が彼女に脱ぎ捨てていくことを求める最初の自分が、これだ。どの自分なのかは、慎重に見ておきたい。母親である自分ではない。娘を愛したことが間違いだったとは、映画は一度もほのめかさない。脱ぎ捨てるのは、大丈夫と言う女性、つまり人ではなく方針のほうだ。方針なら引退させられる。難しいのは、この方針が実際に役に立ってきたことだ。三つの家の平和を、同時に保ってきた。うまく動いているものを、止まる前に引退させる人はいない。
気づく夫と、夫の手もとにある記録
チョン・デヒョンは、この映画が観客に差し出すいちばんの贈り物であり、あとで見るように、もっとも議論を呼んだ変更でもある。彼は妻を愛している。本人より先に、何かがおかしいと気づく。彼は怯え、良心的な男性が怯えたときにしそうなことをする。ひそかに映像を撮り、ひとりで精神科医に相談に行き、見たことをジヨンに話す代わりに、医師の名刺を渡す。
まず、彼の理由を聞こう。どれももっともだからだ。映画の公式の紹介文は率直に書いている。妻が傷つくのが怖くて、打ち明けられないのだと。必要だと告げられなくても、助けを受けてくれればと彼は願っている。それでも、この取り決めにはもうひとつのものが混じっていて、映画はそれを強調せずに見せる。物語の大半のあいだ、ジヨンに起きていることの記録は、別の人の手もとにある。夫の携帯電話のなかだ。この映画で、それを見ることができない唯一の人物が、ジヨン本人である。
なぜそこまで医者に行かせたがるのかと、ついに問われて、デヒョンは映像を見せる。ジヨンは動揺する。そして、口がきけるようになって最初に言うのは、実務的な問いだ。まず、何をすればいいの。映画全体の蝶番はここにあり、それはとても単純なことで回っている。自分の人生についての事実を手渡された女性は、それにもとづいて動く。デヒョンは泣き崩れ、自分が君をここまで追い詰めた気がすると言う。ジヨンは治療を始める。
ほかの男性たちも、同じ注意深さで描かれている。父はかつて出張の土産に、息子にだけ万年筆を買ってきた。何年もたって、子どものころ甘やかされ放題だったその息子が、名前を刻んだ万年筆を姉に贈る。デヒョンは、代償を払うかもしれないと知りながら一年の休みを申し出る。どの男性も、敵としては置かれていない。それは意図されたことだ。公開時、韓国の映画評論家ホ・ナムンは、この映画は男性を悪人として描かない、女性と男性が肩を組んで生きる社会をつくることが大切だという話なのだと、はっきり語っている。
その寛大さが誠実なのか、ただ親切なだけなのかは本当の問いで、このあと反対読解で取り上げる。ここでは、映画が夫の愛をどう扱っているかだけを見ておきたい。愛は本物だ。そして物語の大半のあいだ、事実を手もとに置いておくやり方でもある。気づくことは、ケアの始まりだ。気づいたことを本人に伝えたとき、それは彼女が使えるものになる。
一世代遅れて届いた謝罪
ジヨンの母ミスクは小さな食堂を切り盛りし、ずっと分別のある側の人として生きてきた。少女のころ、兄弟を進学させるために自分の学業と、教師になりたいという望みをあきらめた。その学費を稼ぐために、ソウルの清渓川沿いの縫製工場で働いた。小説はこの犠牲を、場所の名を伏せたまま語っている。映画はその名を口にする。ある年齢以上の韓国人なら、それが何を意味するかを誰もが知っていると、長く韓国で暮らし、韓国について書いてきた伊東順子は指摘する。学校を出たばかりの少女たちが、背を伸ばして立つこともできない低い天井の作業場で、ミシンの前に座り続けた場所だ。
ミスクがようやく自分の目で、娘が別の人の声で話すところを見たとき、娘の口から出てきたのは、ミスク自身の母の声だった。ジヨンは母を、母親がそうするように名前で呼び、ミシンの前で過ごした年月のことを話し、当時誰も言わなかったことを言う。見ていて胸が張り裂けそうだった、すまなかった、と。ミスクは娘を抱きしめて泣く。
批評家のキム・ソナは、同じく韓国映像資料院のデータベースに、この映画にはみんなが泣く場面がひとつだけある、と同僚から聞かされていたこと、それがこの場面だったことを書いている。小説の日本語版に解説を寄せた伊東順子は、この場面が映画で加えられたものだと記している。型がもっとも純粋なかたちで現れるのが、ここだ。過ちを詫びることができるのは、過ちを犯した本人だけであり、その人はもういない。だから謝罪は世代を下り、それを運べる最後の口を通って届く。
もうひとつ、細部がある。ひとつだけ残せと言われたら、この文章はこれを残す。過去の場面のひとつで、卒業を前にした娘に父が、さっさと嫁に行けばいいと言う。するとミスクはスプーンを音を立てて置き、娘たちに向かって、女の子をたしなめるときに使われるあの言葉をそっくり裏返し、どんどん出しゃばりなさいと言う。だから、ジヨンが夫の実家の食卓でついに声を上げたとき、彼女が借りたのは、かつて自分にそうしろと命じた女性の声だった。許しは何年も前に出ていた。ただ、それを一人称で使うことができなかった。
処方箋のないカルテと、処方箋を書く映画
映画が何を選んだのかを見るには、小説が何をしているかを知っておくといい。二〇一六年十月に韓国で出たチョ・ナムジュの小説は、病歴の記録として書かれている。ジヨンの半生は、彼女を診る精神科医によって、平板で注意深い三人称で書きとめられ、政府の統計や報道への注がついている。テレビの時事番組の構成作家として働き、子育てのために仕事を離れたチョは、この時代の女性たちがどう生き、どう考えたかの証拠として、この本が書店や図書館の棚に並んでいてほしかったと語っている。日本語版の訳者あとがきで、斎藤真理子はその設計を一行で言い当てた。カルテではあるが、処方箋はない。
語り手は男性で、共感的な人物だ。自分の妻が仕事をあきらめるのを見て学んだのだと、彼は言う。そして小説の最後の反転は、よく知られているとおりだ。彼の職場の女性が妊娠を理由に辞めることになり、彼が最後に考えるのは、後任は未婚の人にしなければ、ということだった。すべてを理解したはずの聞き手が、最後のページで、自分が理解したはずのことを自分の手で繰り返す。
映画は医師を残し、その役割をほとんどすべて変えた。精神科医は女性になり、チョ・ヘヨンが指摘するように、役割は聞くことに縮められた。ジヨンと夫の話を聞き、二人を語りはしない。病歴という枠は外され、最後に書く行為はジヨンに渡される。医師に勧められて、彼女はノートをつけはじめる。弟の万年筆で書きはじめ、文章は雑誌に載るようになる。最後の場面で彼女は机に向かい、本を書きはじめる。打ち込まれる文は、小説が彼女の半生を語りはじめる文と、同じ事実を同じ順番で並べている。生年月日、ソウルの産婦人科、身長と体重、公務員の父と主婦の母。三人称で書かれている。カルテの声だ。ただ、それを書いているのは、いまは本人である。
これが、変わっていくことについての、この映画の本当の議論だと思う。見た目より静かな議論だ。ここで変わるということは、役割の奥に隠れていた本当の自分を見つけることではない。書き手が移ることだ。小説は、自分の姿をそこに見ることのできなかった男性が作った、一人の女性の記録だった。映画は、その女性が記録を作るところで終わる。そのためにも、彼女は声を借りている。いちばん平板で、いちばん権威のある声、カルテと統計の声を。けれども今度は、その声を使うのは彼女であり、ページのいちばん上にある名前は、彼女自身のものだ。
韓国での論争は、何をめぐるものだったのか
小説は韓国で二年ほどのうちに百万部を超えた。韓国の小説が百万部に届いたのは二〇〇九年以来のことで、この本はやがて、一冊の本を超えた何か、踏み絵のようなものになった。二〇一八年、人気ガールズグループの歌手がファンとの集いでこの本を読んだと話すと、一部の男性ファンが彼女の写真を傷つけ、その動画を投稿した。ネットの一角では、この本を読むことが、どちらの側につくかの表明として扱われた。
映画も同じ敵意にさらされた。それは、誰も映画を見ないうちから始まっていた。主演のチョン・ユミのインスタグラムには、一日で何千もの憎悪のコメントが届いた。大統領に公開を認めないよう求める請願が出された。大手ポータルサイトには、最低点をつけに行く人が相次いだ。韓国映画振興委員会が指摘しているように、映画を見ていなくても点をつけられる種類の評価欄だった。
ここでは釣り合いが大切で、数字がそれを教えてくれる。公開後、同じポータルサイトの、チケットを買った人だけが書き込める評価は、別の姿を見せた。公開最初の週末が終わるころ、実際に見た女性の平均は十点満点の九・六、実際に見た男性は九・五だった。初期の観客の多くは女性だったが、全員ではない。見に行った男性たちは、責められたと感じて劇場を出たわけではなかった。映画は韓国で、最終的に約三百六十七万人を動員した。
反対意見も、公平に述べておきたい。小説を批判する人々は、一般化が過ぎる、男性を差別の積極的あるいは消極的な加担者として描いている、男女の対立を深める、と言った。当時の記事に引かれたコメントには、ジヨンの世代では大学進学率でさえ女性が男性を追い越している、というものもあった。それは事実であり、この本への反証ではなく、この本の前提そのものだ。制度上の不平等が消えた時代にも、日常のなかに自然にしみこんでいる女性への制約と差別について書きたかったと、チョは語っている。英訳者ジェイミー・チャンも、キム・ジヨンの苦しさは、もう平等になった、女性は何でもできる、と長いあいだ言われ続けてきたことから来ていると話した。戦いは終わったと言われて育った世代こそ、残されたものに名前をつけるのがいちばん難しい。キム・ボラ監督の『はちどり』が、一九九四年のソウルで十四歳の少女として描いたのも、この世代だ。その年、ジヨンは十二歳だったことになる。
この文章がもち続けたい怒りは、別のところに向いている。見てもいない映画に群衆が点をつけられる仕組みに。若い女性が何を読んだかが、攻撃の意思表示として受け取られてしまう空気に。それは仕組みであり、仕組みは変えられる。その矢面に立ったチョン・ユミは、ネットに現れた意見がすべてだとは思わない、と何度も語った。興行成績と、実際に足を運んだ人たちの評価を見るかぎり、彼女は正しかった。
日本での読まれ方、少し離れた場所から
日本にこの本が届いたのは、間の悪い時期だった。筑摩書房が斎藤真理子の訳で刊行したのは二〇一八年十二月。伊東順子の回想によれば、その年、多くの書店の目立つ場所は、いわゆる嫌韓本に占められていた。斎藤は伊東に日本語版の解説を頼んだ。これを読んだ日本の人に、韓国はひどい国だと誤解してほしくないから、というのがその理由だったという。
読者は、それとは別のことをした。本は刊行からほどなくアマゾンのアジア文学部門で一位になり、二〇一九年の夏には十三万部を超え、映画が日本で公開された二〇二〇年十月には十六万部を超えていた。経済誌の東洋経済は、翻訳小説としては異例の数字だと書いている。日本の書店で韓国文学が広く読まれるようになるきっかけになった本だと、よく言われる。装丁の力もあっただろう。表紙の女性の顔は白く抜かれていて、伊東の言い方を借りれば、観光地の顔出し看板のように、誰でもそこに入ってキム・ジヨンになれる。帯には、わたしもあなたも登場人物のひとり、とあった。
読者がそこに見つけたのは、韓国ではなかった。アイドルの和田彩花は版元のサイトに、日本では「フェミニズム」と口にするだけで嫌悪感を示されることが多いと書き、この本は、フェミニズムの視点が暮らしのすぐそばにあることを、物語のなかでそっと示してくれると続けた。これは日本についての、日本語の一文だ。多くの読者にとってこの本は、よその国の台所を通して自分の台所を見る窓になった。それは贈り物であり、同時に限界でもある。韓国の名前だからこそ、自分の家族を責めずに、自分の家族をそこに見つけることができる。
日本公開時のキャッチコピーは、ジヨンが身を隠すのに使うのと同じ言葉で始まっていた。大丈夫、あなたは一人じゃない。公開後まもなくねとらぼに寄稿したライターの直江あきは、このコピーが出たとき、キム・ジヨンはそういう話ではない、とネットで反発が起きたと書いている。後半は、チョ・ナムジュ自身がアメリカの公共ラジオに語った願い、女性たちに一人ではないと知ってほしいという言葉と、ほとんど重なる。引っかかったのは前半だった。この言葉は、ずいぶん遠くまで旅をしたことになる。ジヨンの隠れ蓑だったものが、監督が二〇一九年を生きるキム・ジヨンたちに贈りたかった励ましになり、日本では、原作の読者の一部が受け取りを拒んだ宣伝文句になった。
日本の男性たちも、自分なりの入口を見つけた。東洋経済の取材で、何人かは育休の場面を挙げている。四十一歳の在日コリアン三世の男性は、日本でも韓国でも男性が育休を取るのは難しく、女性も育休のあとは仕事の機会が減る、そういう社会をしっかり映した映画だと語った。二十八歳の独身の会社員は、結婚したら自分が育休を取るような、妻を大切にする選択ができるかどうか、正直わからないと話している。
二つの国を、勝ち負けの表にしない
日本でこの映画を見ると、勝ち負けのある比較にしたくなる。その誘いは、どちらの方向にも断っておきたい。一九九〇年からソウルで暮らしはじめ、韓国について書いてきた伊東順子は、いまに限って言えば、とくに若い女性の置かれた状況は日本のほうがしんどいように見えると書き、韓国は遅れた国だと思っている日本人が少なくない、隣国を見る目は少しゆがんでいると感じることがある、と続けている。この図書室の『韓国。美の規範、その反動、そして「降りる」という政治。』は、その鏡像を論じた。韓国のむき出しの対立と日本の静けさは、同じ圧力の二つのかたちかもしれず、静かであることは、片づいていることとは違う、と。
公的な数字も、決着はつけてくれない。二つの国は、別のものを数えているからだ。日本の出生動向基本調査によれば、第一子を妊娠したときに働いていた女性のうち、二〇一五年から一九年に出産した人の六九・五パーセントが、出産後も働き続けていた。わずか五年のあいだに、五割台から七割へ上がった数字だ。韓国の統計庁は、映画が公開された二〇一九年、結婚、妊娠・出産、育児、子どもの教育、家族の世話を理由に仕事を離れた十五歳から五十四歳の既婚女性を、およそ百七十万人と数えた。その年齢の既婚女性のおよそ五人に一人、十八歳未満の子どもがいる人に限れば四人に一人を超える。いちばん多い理由は育児だった。前者は残った人を数え、後者は離れている人を数える。勝ち負けの表ではない。どちらも、ジヨンが立った分かれ道を描いている。
二つの国がはっきり分け合っているのは、問題のかたちだ。祝日の婚家の台所は、正月やお盆に他人の家で立ちっぱなしだったことのある読者には、訳さなくても通じる。この図書室は『年中行事は、どのように親密さを役割へ戻すのか』で、そうした行事が、夫婦が二人のあいだで決めてきたことの上に、古い役割を呼び戻すと論じた。夫の育休をめぐる計算も、同じように通じる。そして日本にも、借りた声にあたるものがある。二〇二三年十月にテレビ朝日で始まり、人気を集めた深夜のトーク番組『夫が寝たあとに』は、ひとつの条件の上に成り立っている。夫たちが眠ったあとで、二人の母親が、育児や家事や、眠っている夫について本音を語るのだ。ジヨンは声を借り、番組は時間を借りる。どちらも、言うときに自分であることを少しだけやめる、あるいは当番から少しだけ外れることで、一文を口に出すための方法だ。
とはいえ、二つの物語に二つの国を代表させるのは、きれいすぎる。同じ年のもう一人のヒロイン、『凪のお暇』の凪と並べてみる。東京の会社で働く凪は、いつも空気を読み、押しつけられた雑用を引き受け、ある日息ができなくなって倒れ、会社を辞めて、人生の「お暇」を宣言する。二人の違いは国ではない。子どもだ。凪は自分の人生から暇をもらえる。ジヨンには昼ご飯を待っている幼い娘がいて、そこから暇はもらえない。借りた声とは、立ち去ることのできない人にとっての、暇を願う気持ちのかたちなのかもしれない。
映画への反対読解、そしてこの読みへの反対読解
ここから、反対意見を、できるかぎり強いかたちで述べる。この映画には両方の国に本気の批判者がいて、そのうちの何人かは正しい。
第一の反論は、映画が原作を見やすいものへとやわらげた、というものだ。小説は閉じた部屋で終わる。何も変わらず、理解しているように見えたただ一人の男性が、仕組みの一部だったとわかる。映画は春で終わる。批評家のカン・ユジョンは公開時、希望だけを描いた結末は少し居心地が悪い、大衆的な選択ではあるが、原作がもっていた現実告発の力は損なわれたと語った。チョ・ヘヨンはこれを、きっちり閉じたハッピーエンドと呼び、終わり近く、冒頭と同じ夕暮れのベランダに立つジヨンを照らす光があまりに人工的で、まるでセットのようだと指摘した。ジヨンはいまも孤立していて、幸福は仮のものでしかありえない、と。そして議論の中心には夫がいる。小説のデヒョンには、ほとんど存在感がない。映画のデヒョンは韓国で最も愛されている俳優の一人が演じ、泣き、努力し、育休を申し出る。伊東順子は、韓国の観客の反応をこうまとめている。わたしはキム・ジヨン、でも夫はコン・ユではない。
第二の反論は日本から来た。こちらのほうが鋭い。幼い子を育てている直江あきは、ジヨンを作家にすることで、社会の問題が個人の問題に戻されてしまうと論じた。同じ計算に閉じこめられた多くの女性がもっていない才能によって、彼女は抜け出すのだから、と。世の中は創作者ばかりではない、と直江は書く。同じ年に評判になったもう一本の映画、グレタ・ガーウィグの『ストーリー・オブ・マイライフ』もまた、自分の本を手にするヒロインで終わっていた。百五十年たっても、女性の出口は書くことしかないのか。直江はカフェの場面にも疑問を向けた。幼い子を抱えたまま、敵意のある見知らぬ人に言い返すことは、多くの母親にとって安全にできることではない。
これらの反論は、本当のことを言い当てている。この文章はそれを認める。あの結末は、人生がたいていの女性には与えないものを、映画がヒロインに与えた贈り物であり、やさしすぎると感じる人は正しく読んでいる。それを打ち消さずに、反対側に置けることが二つある。映画の制作にまったく関わらなかったチョ・ナムジュは、より希望のある結末だったと満足げに語っていたといい、ある韓国の雑誌は、彼女が小説より先へ進んだ映画だと評したと伝えている。そして伊東順子は、希望はある程度まで報告でもありうると示唆する。小説が書かれた二〇一五年から映画が作られた二〇一九年までに、韓国社会は大きく変わった。より希望のある結末は、その時点では正確な結末だったのかもしれない。誰にとっても正確な結末ではない。
第三の反論は、この文章に向けられる。借りられた声がそれぞれ、ジヨンにない立場を運んでいるという読みは、映画より整いすぎているかもしれない。チョ・ナムジュは、キム・ジヨンという人物を、韓国の女性なら誰もが経験する出来事と感情を入れる器として考えたと語っている。批評家たちも、別の人の声を、一人の女性を多くの女性へと溶かしこむ仕掛けとして読んできた。祖母と母と娘が、一人の女性として話すのだと。この読みでは、仕掛けが語っているのは、女性たちがどれほど多くを分け合っているかであって、序列ではない。強い代替案であり、小説にはこの文章の読みよりよく合うかもしれない。二つは同時に正しいのかもしれない。ここで言えるのは、もっと狭いことだけだ。映画のなかで、借りられた声はでたらめなことを言わない。どの声も、その話し手に言う資格のあった一文を言う。
最後の反論が、いちばん単純だ。女性に時間と注意を差し出すことを仕事にしているこの家には、女性には聞いてもらえる場所が必要だという結論に、はっきりした利害がある。この読みは映画が始まる前から待ちかまえていたのではないか、と疑う読者には、そう疑う資格がある。次の節は、多くを言うのではなく、言うことを減らすことで、それに答えようとする。
この家がここから受け取るもの
ジヨンを助けたものを、はっきり書いておこう。医師と、診察室で過ごす時間。記録を手もとに置くのをやめて、本人に渡した夫。ようやく見た母。万年筆をくれた弟。一冊のノート。どれも売り物ではなく、この家はそのリストに入っていない。入っているふりをするのは、小さな不誠実だ。
この家がこの映画から受け取れるのは、もっと狭いものだ。大丈夫という言葉と、立場の問題について。自分が本当は何を望んでいるのかを、借りたかたちでしか言えない女性は少なくない。冗談として。友だちの話として。登場人物の台詞として。夫が寝たあとに。それを臆病さと読むのはたやすい。映画は、それを証拠として読むことを勧めている。手近な声を使ってでも外に出ようとし続ける一文は、存在している一文だ。足りないのは、それをもつ勇気ではない。高くつきすぎずに、一人称で言える場所のほうだ。
ここに描かれているのは、あなたではない。あなたがそこに自分を見つけないかぎりは。けれど、もしあなたが大丈夫を、あまりに上手に、あまりに長く言い続けてきて、周りの誰もが、ひょっとするとあなた自身も、それを信じてきたのなら、この映画にはあなたに伝えたい小さなことがひとつある。言わずにきた言葉は、どこにも行っていない。無傷のまま、思っているよりずっと明晰に、そこにある。それが待っていたのは勇気ではない。立つ場所だ。その足場の一部は、ほかの人からしか与えられない。残りは、自分で作ることもできる。映画の終わりのジヨンのように、最初の一ページを、書ける人称で書くことで。
ジヨンが最後に大丈夫と言うのは、早春の交差点だ。泣いているのは夫で、慰めているのは彼女のほうである。ずっと使ってきたのと同じ言葉だ。それが本当になったのか、ただ持ち主が替わっただけなのか、映画は答えを開いたままにしている。この文章も、そうしておく。
これは一本の映画と、その原作の小説についての読みである。誰も診断しない。虚構のジヨンも含めて。実在の人物の内面について何かを述べるものでもない。引いた数字は、名前を挙げた出典が報告しているものであり、二つの国が別のものを数えている場合、それを点数として競わせることはしていない。
持ち帰るための問い
誰かの声でしか言えない一文はあるだろうか。母の口癖として、友だちの話として、登場人物の台詞として、冗談として。それを自分の声で言うところを想像してみる。そう言ったら、何がかかるだろう。払うのは誰だろう。
大丈夫と言うとき、それは誰を守っているのだろう。平和を保っているのか、それとも、あなたをそこに閉じこめているのか。
あなたの日々の記録を持っているのは誰だろう。写真や、メモや、親戚が集まるたびに語られるいつもの話を。あなたはそれを見せてもらったことがあるだろうか。
自分の人生の最初のページを書くなら、一人称で書くだろうか、三人称で書くだろうか。そして、どんなカルテにも書かれないことを何かひとつ書き加えるとしたら、それは何だろう。
そして、もしあなたが気づく側の人なら。気づいたことを、彼女に伝えただろうか。それとも、彼女のためだと言って、手もとに置いたままだろうか。
ほかの章から読む
さらに深く、資料室で
この問いから、次へ
もう少し静かな、次の一歩
読みもののお便り
週に二通。書いたもののなかから選んで、三篇と、一篇。売り込みはありません。