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『わたしの宝物』と、嘘より前にあったこと
夫以外の男性との子を、夫の子と偽って育てる妻。フジテレビはこの連続ドラマを「托卵」という一語で売り出し、彼女のしたことには、いくつもの言葉を用意した。夫が先にしたこと、彼女をレイプした夜について、番組紹介が書いたのは「宏樹のある行動」という一言だけだった。この文章は、ふたつの行為をそれぞれの名前で呼び、起きた順に並べ、何かを裁く前に彼女の理由を聞く。そして、レイプと嘘を天秤にかけることをしない。
二〇二四年十二月十九日、最終回の放送日。番組表に載ったその回の題には、托卵から始まった物語の結末、という言葉が添えられていた。托卵は、もともと鳥の言葉だ。カッコウは別の鳥の巣に卵を産み、ひなを育てることをその鳥にまかせる。それが転じて、夫以外の男性との子を夫の子と偽って育てることも、そう呼ぶようになった。八月の末に放送が発表されたときから、この連続ドラマはこの一語とともに売り出され、最終回の夜になっても、番組表に載っていたのはその言葉だった。
けれど、ドラマ自身の語るところでは、物語はそこから始まってはいない。始まりは、結婚して五年目の家だ。神崎美羽は、やりがいのあった仕事を辞めて家庭に入った。大手商社に勤める夫の宏樹は、外では誰に対しても感じがいいのに、妻にだけは違う。家では彼女に笑うなと言い、召使いのように扱う。その一方で、入院している美羽の母の費用を払っているのは宏樹で、それが、美羽が離婚に踏み切れない理由のひとつになっている。子どもができれば、夫婦はやり直せるかもしれない。そう望む彼女に、宏樹は、暇だから子どもが欲しいのかと言う。そしてある夜、宏樹は美羽をレイプする。
このドラマが売り出したものは、すべてその夜のあとに来る。もうひとりの男性も、妊娠も、嘘も、子どもも。この文章が書きたいのは、その順番のことであり、それぞれに与えられた言葉のことだ。美羽のしたことについて、ドラマとその宣伝は、言葉をたっぷり用意していた。托卵。悪女。禁断の決断。罪。宏樹が先にしたことについて、放送前に公開された番組紹介が使ったのは、ひとつの言い回しだけだった。「宏樹のある行動」。
この結婚のなかでは、ふたつのことが起きる。夫が妻をレイプする。妻が夫に、この子はあなたの子だと告げる。ドラマは観る者に、そのふたつを量らせようとする。この文章の主張は、そのふたつは互いに量れない、ということだ。どちらも、もう一方の支払いにはならないからだ。レイプは、嘘の許可証にはならない。嘘は、レイプを小さくしない。そして夫があとで幼い娘に向ける優しさは、そのどちらの勘定の支払いでもない。各話について書かれたものを読むかぎり、ドラマは、その宣伝よりもよく、このことをわかっている。それでも最後の数分で、あやうく忘れかける。
以下では、ひとつひとつのことを、それぞれの名前で、起きた順に置いていく。そして美羽のしたことを裁く前に、まず彼女の理由を、彼女が持っていたとおりに聞く。
作品のこと、そしてこの先を読む前に
『わたしの宝物』は、フジテレビの木曜劇場、木曜夜十時の枠で、二〇二四年十月十七日から十二月十九日まで、全十回放送された。脚本は市川貴幸のオリジナル、プロデュースは三竿玲子、演出は三橋利行ほか。美羽を松本若菜、宏樹を田中圭、美羽が再会する幼なじみの冬月稜を深澤辰哉が演じる。冬月の仕事のパートナーである水木莉紗にさとうほなみ、美羽の親友の小森真琴に恒松祐里、宏樹が話をしに通う喫茶店の店主、浅岡忠行に北村一輝、そして美羽の母に多岐川裕美。
放送局はこの作品を、同じプロデューサーが「夫婦のタブー」を描くドラマの第三弾として打ち出した。二〇一四年の『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』は平日の昼間に不倫におぼれていく男女を、二〇二三年の『あなたがしてくれなくても』は夫婦のセックスレスを描いていて、後者には市川も脚本で加わっていた。放送のあとの配信でも、この作品は大きな数字を残した。民放の公式配信サービスTVerの発表によれば、二〇二四年十月から十二月までの見逃し配信の再生数は三千四百五十八万回で、同じ期間の全番組のなかで一位だった。
この先を読む前に、ひとこと断っておく。この文章は、結末を含めて全話の内容にふれる。また、夫婦のあいだのレイプと、赤ん坊の命が危うくなる場面についても書く。レイプはその名ではっきり呼ぶが、場面は描写しない。赤ん坊の命が危うくなる場面は、一文で一度だけ書く。この文章のために作品を観てはいない。拠っているのは、放送局が作品について公表したもの、プロデューサーと松本若菜が公にした言葉、そして各話について公刊された記述である。台詞にふれるときは要約であって、正確な引用ではない。
あらすじを短く書いておく。美羽は、少女時代に通った図書館で、中学時代の優しい友人だった冬月と再会する。冬月はいまフェアトレードの会社を営み、アフリカに学校を作るために旅立とうとしていて、美羽が初恋の相手だったと打ち明ける。宏樹にレイプされた翌朝、美羽は冬月のもとへ行き、ふたりは一夜をともにする。妊娠も、嘘も、子どものことも、物語がどう終わるのかも、議論に必要な順番で、このあと書いていく。
軽蔑とお金でつなぎとめられた結婚
嘘より前に、ひとつの家がある。そしてドラマは、その家が彼女をどうつなぎとめているかを、正確に描いている。
まず、軽蔑で。宏樹の冷たさに、大きな声はいらない。妻に笑うなと言う。使用人のように扱う。子どもが欲しいと言えば、暇だからかと返す。放送局の説明によれば、美羽は子どもが欲しくて、悩んだすえに仕事を辞めたのだった。それを知ったうえで聞くと、この一言はいっそう重い。どれも人前では起きない。外での宏樹は、感じのいい、仕事のできる夫だ。起きるのは部屋のなかで、ひとりの相手に対して、何でもない夜に。番組紹介は、そこでの美羽の毎日を「かごの中の鳥」のようだったと書いている。
次に、お金で。美羽には自分の収入がない。母は病気で入院していて、その費用を払っているのは宏樹だ。この取り決めが何をしているかは、誰かに説明してもらうまでもない。夫なしでは母の入院を支えられない女性にとって、部屋を出ていく扉のひとつひとつには値札がついている。そして彼女は、その金額を知っている。
日本の政府が配偶者間の暴力をどう書いているかを、ここに並べておきたい。架空の男性にレッテルを貼るためではない。その一覧が、あまりにも日常的だからだ。内閣府男女共同参画局の「暴力の形態」のページは、精神的な暴力を「心無い言動等により、相手の心を傷つけるもの」と説明し、例のひとつに、命令するような口調でものを言うことを挙げている。同じページは、お金のことにもふれる。生活費を渡さないこと、外で働くなと言ったり、仕事を辞めさせたりすること。こうした行為は「経済的なもの」に分類される場合もある、と添えてある。そして、挙げた例は相談の対象になりうるものを記したもので、すべてが法律の定める配偶者からの暴力にあたるとは限らない、と断っている。宏樹のお金の使い方は、渡さないことの逆だ。彼は払う。けれど払うことも、渡さないことと同じくらい固く、人をその場にとどめうる。払われているのが、母のベッドであるならば。
ドラマは、宏樹の側の事情も丁寧に描いている。会社では上司に詰められ、部下には陰口をたたかれ、パニックの発作で出勤もままならない。喫茶店TOCAの店主、浅岡は彼の話を聞き、カミさんのことが好きなんだろう、と見抜く。松本若菜は、初回放送の日にリアルサウンドが公開したインタビューで、宏樹にもバックボーンがあり、田中圭の説得力のある芝居でそれが表現されているので、あとで第一話から観返すと納得する部分もあるだろう、と語っている。ドラマの狙いとして、それはまっとうだ。この文章も、それを軽く扱うつもりはない。けれど説明とは、ことがどうして起きたかを述べるものだ。許可ではないし、割引でもない。
名前を与えられなかった夜
そして宏樹は、美羽をレイプする。この文章がそれをこの言葉で書くのは、ドラマの宣伝がそう書かなかったからであり、その違いが好みの問題ではないからだ。
フジテレビが二〇二四年八月三十日、放送決定の発表とともに公開した番組紹介は、物語の設定をかなり詳しく書いている。仕事を辞めた妻。外では理想の夫を演じ、家では辛く当たる夫。苦しいときにはいつも助けてくれた幼なじみ。そのうえで、最初は心のつながりだけで十分と思っていた美羽が、「宏樹のある行動がきっかけで」ついに冬月と一夜を共にしてしまう、と続ける。その行動が何なのかは、書かれていない。
そこには、第一話の中身を明かさないという、発表文としてのふつうの慎みもあるだろう。けれど、この一文があの夜をどう扱っているかを見てほしい。宏樹の行為は、美羽の不倫の「きっかけ」になる。彼女がされたことではなく、彼女の物語のなかの原因になる。レイプは不貞の理由になり、そうして彼女の側の勘定に、彼女の踏み越えの最初の一歩として書き込まれる。この文章がほどきたいのは、その形だ。彼女がそのあとにすることを和らげるのではなく、彼の行為を、あるべき場所に、つまり彼のものとして、戻すことによって。
日本の法律は、まさにこの点で動いてきた。二〇二三年七月十三日から、刑法は条文そのもので、不同意性交等罪と不同意わいせつ罪が婚姻関係の有無にかかわらず成立することを示している。法務省の説明によれば、改正前から、夫婦であるかどうかは性犯罪の成立に影響しないという見解が一般的だった。ただ、それが条文上は明らかでなく、配偶者間の性犯罪の成立を限定的に解する学説もあったため、確認の意味で書き込まれたのだという。内閣府のページは、もっと平易に書いている。嫌がっているのに性的行為を強要することは性的な暴力であり、夫婦間の性交であっても、刑法第百七十七条の不同意性交等罪にあたる場合がある、と。『わたしの宝物』が放送されたのは、その言葉が法律に入ってから一年三か月後のことだ。架空の人物に法律をあてはめるつもりはない。ただ、観る者には、あの夜の名前を知る権利がある。
「カップルの同意は、ひとつではなく二つある。」という文章は、同じことを法律なしで述べていた。ふたりが一緒に何をするのであれ、それぞれが別々に同意しているのであって、「私たち」という言葉は、その片方を消してしまうことがある、と。結婚は、ふたつの同意をひとつに畳んだりしない。夫は妻の同意を預かっているわけではない。あの夜より前の五年間も、彼女が望んだ子どもも、誓いも、彼女の同意の代わりにはならなかった。
翌朝、美羽は冬月に会いに行く。少女時代の図書館で、彼を見つける。冬月は、彼女が昔なくした刺繍の栞を返す。ふたりは一夜をともにし、冬月は迎えに行くと約束する。その朝が何だったのかを、考えずにいるのは難しい。結婚していちばんひどい夜のあとで、かつてただ本を読む少女でいられた場所へ、そしてそこで彼女に何も求めなかったただひとりの人のもとへ、向かったのかもしれない。その読みは、冬月との夜を説明する。けれど、その夜が前の夜を埋め合わせるわけではないし、埋め合わせる必要もない。ふたつの夜は、その順番のまま置かれている。先にあったのは、宏樹のしたことだ。
彼女の理由を、彼女が持っていたとおりに
やがて美羽は妊娠に気づく。同じ頃、アフリカの自爆テロで冬月が死んだというニュースが流れる。DNA鑑定の結果、子どもの父親は冬月だった。そのとき彼女がどこに立っているのかを、ひとつずつ確かめてみる。自分の収入はない。母は入院していて、その費用はひとりでは払いきれない。夫は彼女を見下し、そして彼女をレイプした。お腹の子の父親は、彼女の知るかぎり、もうこの世にいない。
放送局の番組紹介は、彼女の理由をはっきり書いている。仕事を辞めた美羽には、離婚してシングルマザーになる道は残されていなかった。そして、もし宏樹が真実を知れば、子どもがどうなるかわからない。この子だけは必ず自分が幸せにする、と美羽は決める。だから宏樹に、あなたの子だと告げる。そしてDNA鑑定の結果を、署名した離婚届と一緒に燃やす。
その二枚の紙のことを、少し考えたい。ドラマはそれを、同じ火にくべる。一枚は、子どもについての真実だった。もう一枚は、彼女の出口だった。それを一緒に燃やすしぐさは、嘘が誰かに何かを負わせるより先に、まず彼女自身から何を奪うのかを見せている。出口と真実が、同時に消える。彼女は楽をするために嘘をつくのではない。とどまるために嘘をつく。そしてそのとどまる場所は、彼女が紙に署名してまで出ようとしていた場所だった。
作り手たちは、美羽をどういう人として描くのかを、はっきり語っていた。プロデューサーの三竿玲子は、放送決定の発表に寄せたコメントで、美羽を「悪女になる選択をせざるを得なかった女性」と書いている。それが身勝手で、人を傷つけることになるとわかっていて、取り返しのつかない嘘をつく。覚悟をもって悪女になったけれど、ずっとその罪にもがき苦しんでいる、「悪女になり切れない」女性なのだ、と。松本若菜は、自分も彼女を心から応援することはできない、と語った。美羽は誰かに助けてほしいとは思っていない。悪女として生きる道を選んだからには、それ相応の罰を受ける覚悟を持っている人物なので、悲劇のヒロインには見えないよう気をつけて演じている、と。
その理由を聞いたうえで、ドラマが売り出した言葉をもう一度見てみる。番組紹介は、托卵を動物の習性として説明している。自分の卵と、生まれたひなの世話を、ほかの個体に托すこと。カッコウは別の鳥の巣に卵を産みつけ、その鳥にひなを育てさせる。美羽を言いあらわす比喩として、これが正しく言いあてているのは、ひとつだけだ。子どもを育てている男性は、その子の父親ではない。ほかのほとんどすべてを、この比喩は取り違えている。カッコウは去っていく。美羽はとどまり、自分の手で育てる。カッコウはその巣のよそ者だ。美羽はこの巣を自分で作り、その代金を、辞めた仕事で払った。そして比喩のなかでは、巣の持ち主の鳥は、ただ被害を受けた側である。この巣でその役にあたるのは、彼女をレイプした男性だ。
そのどれも、嘘を正しいことにはしない。ただ、理解できるものにはする。正しいことと理解できることは別で、読む側がまず彼女に差し出すべきなのは、理解のほうだ。この嘘は、欲からではなく、お金と恐れ、そして子どもへの愛からできていた。彼女が暮らしていけると思えた唯一の家で、子どもに食べるものと眠る場所を確保するためについた嘘であり、ついたのは、それを告げる相手を恐れるだけの理由をもつ女性だった。そこまでを聞いてはじめて、次の問いに誠実さが宿る。その嘘は、ほかの人たちに何をしたのか。
秘密は、誰にとって何を変えるのか
秘密と、私的なこととの違いについて、この図書室には正確な言い方がある。「秘密は約束の条件を変える。プライバシーは、最初から条件のなかになかった。」という文章は、ふたつをこう区別した。秘密とは、相手が頼りにしているものへの、伏せられた変更だ。プライバシーとは、相手が頼りにしていたもののなかに、そもそも一度も入っていなかったすべてだ。その物差しで測れば、美羽が抱えているのはプライバシーではない。子どもの父親が誰かということは、彼女ひとりの引き出しの中身ではない。それは三人の条件を同時に変える。ひとりずつ見ていきたい。
宏樹にとって、秘密は彼の変化の土台になる。娘が生まれると、宏樹は抱いて涙を流し、道しるべの意味を込めて栞と名づけ、この子の父親にならせてほしいと頼む。ドラマは、この場面を足場に彼の変化を描いていく。そしてその足場は、彼が知らされていないことの上にある。父親であることは本物だ。けれど、その下の床は本物ではない。この種の秘密は、守られているあいだ、じっとしてはいない。彼の優しさの一日一日が、真実が届いたときに彼が払うものを、積み増していく。
ドラマは観る者に、宏樹には持てないものをひとつ持たせる。宏樹が選んだ名前は、彼が美羽をレイプした翌朝、図書館で冬月が彼女に返したものと同じ言葉だ。観る者は、その栞がどこから来たのかを知っている。名づけた男性は、知らない。
冬月にとって、秘密は、扉があることさえ知らないうちに閉じられた扉だ。生きて帰り、図書館で美羽を見つけ、守りたい家庭があると告げられる。彼は身を引く。栞が自分の子だとは知らない。自分について、人がいちばん知らされたいと思うかもしれないことを、彼は知らされないまま失っている。ドラマはのちに、彼に尋ねる機会を与える。彼が受けとる答えについては、あとで書く。
栞にとって、秘密は条件の変更ではない。秘密が、彼女の条件そのものだ。この物語のなかで、何ひとつ頼りにせず、何ひとつ同意しなかったのは彼女だけで、嘘の重さは、誰よりも彼女の人生にかかっている。大人たちが何を決めようと、彼女はいつか、自分の物語を知る権利をもつひとりの人になる。そしてその物語は、彼女が言葉を話せるようになる前に、すでに整えられている。
秘密は、真琴を通って宏樹に届く。そのことは次の節で書く。宏樹は親子鑑定を受け、結果を知って、自分と栞の命を絶つ寸前までいき、踏みとどまる。この文章がそこについて書くのは、これだけだ。美羽が嘘をつくと決めたとき恐れていたのは、もし宏樹が真実を知れば子どもがどうなるかわからない、ということだった。そのあとに起きたことは、その恐れをばかげたものにはしない。それは嘘の弁護ではない。彼女が嘘をついた理由のひとつだ。美羽が打ち明けると、宏樹は家を出て行ってくれと言う。そして、母が亡くなる。家を出され、母も失った美羽は、ひとりで栞を育てると決める。
嘘をつく女たちと、告げる女
この物語の男たちが何を知ることになるかを決めるのは、ほかにもふたりの女性だ。
水木莉紗は冬月の仕事のパートナーで、彼を想っている。冬月がテロに巻き込まれたとき、彼女は亡くなった同僚を冬月だと偽り、世間にも美羽にも、彼が死んだと信じさせる。ドラマが示す理由は、冬月を美羽のもとへ戻らせたくない、というものだ。莉紗の嘘は美羽の嘘と同じくらい重く、しかも美羽の嘘の下に敷かれている。子どもが宏樹の子だと告げられたのは、冬月が死んだと報じられた世界でのことだったからだ。帰国した冬月は、莉紗を許す。
小森真琴は美羽の親友で、夫に不倫されたことのあるシングルマザーだ。それ以来、不倫を憎んでいる。冬月の腕のなかにいる美羽を見てしまった真琴は、宏樹のもとへ行く。ずっとあなたが好きだったと打ち明け、そして、自分の勘では栞はあなたの子ではない、と告げる。これは親友への裏切りであり、この文章もそう呼ぶ。同時にそれは、真琴の立つ場所から見れば、かつて自分がされたのと同じ種類のことに、黙っていられないということでもある。宏樹への想いと並んで、彼女自身の過去も、物語のなかにある。莉紗も真琴も、悪役ではない。どちらも、自分自身の理由によって、ほかの女性の人生を動かしてしまう。
三人を並べると、ドラマが意図しなかったかもしれない模様が浮かぶ。嘘をつくのも、告げるのも、女たちだ。美羽の嘘、莉紗の嘘、真琴が告げたこと。男たちは、嘘をつかれる側であり、告げられる側である。番組紹介の言葉も、同じ向きに流れていた。美羽は「悪女になる決断」をし、その「禁断の決断」が三人の運命を狂わせていく、と。その隣に、同じ番組紹介が宏樹について選んだ言葉を置いてみる。「宏樹のある行動」。女たちの秘密が物語を動かし、男のレイプが名前のない行動のままでいる物語には、道徳より先に、まず文法がある。語られている各話は、三人の女性それぞれに、彼女自身の理由を与えている。けれど観る者が最初に手渡されたのは、その文法のほうだった。
彼の変化が届くところ、届かないところ
ドラマは観る者に、変わっていく宏樹への共感を求め、自分の子だと信じる赤ん坊を抱いて泣く場面から、それを得るための手間を惜しまない。真実が届き、そのいちばん暗いところを越えたあと、美羽を家から出し、それから少しずつ、手放しはじめる。相手が、融資を検討していた会社の冬月だと知って出資を見送り、のちに改めて申し出る。離婚届に署名する。栞との面会も望まないと伝える。そして、実の父親と生きるほうが栞のためかもしれないと考え、冬月を美羽と栞に引き合わせる。どれもが、第一話の男から一歩ずつ離れていく歩みだ。
それはまた、親をつくるのは何かという問いへの、このドラマのいちばん強い答えでもある。宏樹は血のうえでは栞の父親ではない。けれど生まれてからの数か月、母親のほかに、父親としての日々の仕事をいちばん多くしたのは彼だ。悪役がほしいドラマなら、彼を悪役のままにしておけただろう。このドラマはそうしない。その拒否は、ドラマの手柄である。
けれど変化は前へ進むもので、うしろへは届かない。栞にとって宏樹が何になろうと、彼は栞の母親をレイプした男であり続ける。娘のためにすることは、母親への支払いにはならない。ドラマは、彼の優しさが何かを清算したと、観る者に感じさせようとするかもしれない。この文章はその誘いを断る。優しさが偽物だからではない。それが別の人に向けられているからだ。ある人への負い目は、別の人への親切では返せない。
このドラマがどこまで踏み込むかを示す一言がある。宏樹が融資を打ち切ったとき、冬月は彼に頭を下げ、美羽を救ったのはあなただと言う。冬月がどういうつもりでそう言ったのであれ、この物語がどの夜から始まったのかを覚えている人には、その言葉は違って聞こえるかもしれない。そう聞こえて、かまわない。
動物園での答え
最終話、美羽は動物園の入り口で待っている。宏樹と栞と、三人で会うのはこれが最後だと思っている。けれどやって来たのは、宏樹に送り出された冬月だった。栞を抱いた冬月は、この子は自分の子なのかと尋ねる。美羽は、違う、この子はわたしの子だ、と答える。
題名が待っていたのは、この一文だった。わたしの宝物。このドラマは一人称で名づけられていて、その一人称は美羽のものだ。動物園で彼女は、その一人称をふたりの男に同時に向ける。血のことを尋ねる冬月には、血については偽りの答えを返す。そして、宏樹の子だとも言わない。わたしの子だと言う。
血のつながりについて言えば、その一文は本当ではない。そして、美羽のものであると同時に冬月のものでもあった扉を、彼の前で閉じる。冬月はそれを受け入れる。宏樹に、あなたが栞ちゃんのお父さんだと伝え、学校づくりへと向かう。ドラマは彼に、実際にその立場に置かれた人が見つけるよりもたやすく、潔さを与えているのかもしれない。それでも、彼が手放すものは、その潔さのぶん小さくなるわけではない。出産からの数か月について言えば、その一文はそのまま事実だ。美羽は子どもを宿し、食べさせ、守り、その代価にほとんどすべてを払った。ひとつの文が、嘘であり、同時に事実でもある。この文章には、それをどちらか一方にすることができない。
そしてここでもまた、それは栞の頭の上で言われる。自分の父親の腕に抱かれているあいだに、母親がその人に、あなたは父親ではないと告げる。この場面がほかに何であるにせよ、それは大人たちが、子どもの物語を、彼女にまだ聞こえない場所で決めている場面でもある。
結末と、ふたつの行為をひと組にする一文
物語のなかの二〇二五年一月七日、美羽は離婚届を出しに向かう。宏樹が追いかけてくる。美羽と一緒に栞を育てたい、ふたりのしたことを一緒に背負わせてほしい、という意味のことを告げる。美羽も、離れたくないと応える。そして三人は、新しい暮らしを始める。
これをご褒美と呼ぶのはたやすい。ひどい夫は改心し、嘘をついた妻は許され、子どもには家族が与えられた、と。けれど、ひとつの決断として読むほうがいい。最後の場面で、誰も何かの報酬を受けとってはいない。相手が何をしたかを、ふたりとも正確に知っている。そのうえで、とどまることを選ぶ。この図書室は「『Thappad』と、誰も彼女に尋ねなかったこと」で、自分の結婚のなかで何をするかは、その内側にいる人が、外からは誰にも見えないことを知ったうえで決めることだ、と書いた。美羽の選択にも、同じ敬意が払われるべきだ。この文章は、それを覆さない。
この文章が受け入れないのは、最後の一文の計算のほうだ。ふたりのしたことを一緒に背負うという言い方は、ひと組ではないふたつの行為を、ひと組にしてしまう。ひとつはレイプだ。もうひとつは、そのレイプを含む暮らしをひとつの理由として、彼女がついた嘘だ。それは、ひとつの勘定のふたつの半分ではないし、釣り合いもしない。宏樹のあの一文について、この文章が受け入れられるのは、ひとりひとりが自分のしたことを、それ自身の名前のまま、相手の隣で背負う、という読み方だけだ。記載がふたつあるひとつの勘定ではなく、閉じられないままの、ふたつの勘定。
同じ系譜のひとつ前の作品は、市川も脚本に加わったドラマだった。この図書室はそれを「『あなたがしてくれなくても』と、誰のせいでもない痛み」で、真ん中にある欠落は誰のせいでもなく、そのあとで何をしたかはそれぞれが引き受けるしかない物語として読んだ。『わたしの宝物』は、その条件のひとつを変え、もうひとつを残している。ここでは、最初の痛みに、それを負わせた人がいる。そして、そのあとで何をしたかは、美羽も含めて、やはりそれぞれが引き受ける。議論は、それで全部だ。ドラマは最後の数分で、そこまでほとんどたどり着き、そして一文で、ふたつの行為を足し合わせてひと組にしてしまう。
ドラマは、ふたりがこれから築くものの入り口で終わる。築けるかどうかは画面の外にあり、それはそれで正しい置き場所だ。画面のなかにあるのは、ひとりの子どもと、彼女についての真実を知っているふたりの大人と、尋ねて別の答えを受けとった三人目と、彼女自身がまだ知らない真実である。
日本で見る
作り手たちは、このドラマがどこから来たのかを率直に語っていた。三竿は、托卵という題材を知ったのは『昼顔』のラストをどうするか考えて調べていたときで、それ以来温めてきた企画だと書いている。托卵をした女性の話を調べれば調べるほど「恐ろしい悪女の話」が多く、ただの悪女の話にはしたくなかった、とも。そして、ラブストーリーの先に、身近に潜む「人間の業や欲」のような、ちょっと怖いものを感じられるドラマになるのではないか、と書き添えている。
身近に潜むものは、たしかにこの物語にある。ただ、宣伝が指さしたのとは別の場所にも。美羽の選択に何かを見てしまう人は、選択より前の、美羽の結婚のほうにも見覚えを感じるかもしれない。番組紹介が「ある行動」の一言で通り過ぎた部分だ。手に入る数字は、その部分がまれではないことをうかがわせる。
内閣府は二〇二三年度に「男女間における暴力に関する調査」を行った。全国の十八歳から五十九歳の男女五千人を無作為に選んで尋ねたものだ。それによると、結婚したことのある女性の二十七・五パーセントが、調査が尋ねる四つの暴力のいずれかを配偶者から受けたことがあると答え、十三・二パーセントが何度もあったと答えている。四つの定義は、このドラマを観た人には見覚えのある言葉で書かれている。心理的攻撃には、人格を否定するような暴言が含まれる。性的強要には、嫌がっているのに性的な行為を強要されることが含まれる。そして、不同意性交等の被害にあったことがあると答えた女性のうち、加害者として配偶者(事実婚や別居中を含む)を挙げた人は九・二パーセント、元配偶者を挙げた人は八・五パーセントだった。まったく知らない人を挙げた人は、十・〇パーセントである。
これらの数字には、限界を添えておかなければならない。表しているのは、ひとつの調査に答えた人たちであって、日本の女性全体ではない。あとの三つの数字は百三十人の女性の回答にもとづき、ひとりが複数の相手を挙げられるので、割合を足し合わせることはできない。それでも、見えるものはある。狭いが、それで足りる。この回答のなかでは、配偶者が挙げられる割合は、まったく知らない人とほとんど変わらない。けれど、人がまず思い浮かべるのは、見知らぬ人のほうかもしれない。
このドラマの下にあるもうひとつの事実は、番組紹介自身が書いている。仕事を辞めた女性には、離婚してひとりで子どもを育てる道が残されていなかった、ということだ。それは架空の女性の計算だが、計算そのものはありふれている。手放した収入、入院している親、生まれてくる子ども、そして誰が何を払うのか。
在留が結婚にもとづいている女性にとって、この計算にはもう一行が加わる。内閣府の、被害者が外国人である場合についてのページは、外国人であっても配偶者暴力防止法の対象になること、そして離婚後も日本に滞在する場合には在留資格についての手続が必要になることを書いている。出口の扉に、書類が一枚ついていることがある。そして家族から遠く、母語ではない言葉で暮らしている女性は、大丈夫かと尋ねてくれるはずの誰かからも、美羽より遠いところにいるかもしれない。
この読みへの反論
この文章がまちがっているかもしれない点は、少なくとも四つある。そのうちふたつは、本当に手ごわい。
第一に、ジャンルの問題。『わたしの宝物』はメロドラマであり、それを隠してもいなかった。予告映像では美羽が悪女になると心を決め、ドラマは木曜の夜のために作られていた。メロドラマは、この文章が異を唱えている不均衡そのものを燃料にして走る。ヒロインの踏み越えがエンジンで、エンジンには燃料が要る。このドラマを、ものの名前の呼び方を教える話として読むのは、木曜の夜のドラマに、一度も名乗ったことのない役目を求めることなのかもしれない。ジャンルは形を説明する。けれど、その形の土台になった夜に観る者が何を負うかまでは、決めない。
第二の点は、本当に手ごわい。「ある行動」という言い方は、放送前に書かれたものだ。あの夜を名指しすれば、第一話を明かしてしまう時期だった。ドラマそのものは、あの夜を、それが何であるかのとおりに画面に置いているのかもしれない。この文章は作品についての言葉を読み、作品そのものは観ていない。観た人のほうが、ドラマ自体が宣伝より注意深いかどうかを判断するのにふさわしい。もしそうなら、先に書いた文法は、作品よりも売り方のものだということになる。
第三の点は、さらに手ごわい。ふたりのしたことを一緒に背負わせてほしいという宏樹の願いは、差し引きの話ではまったくない、とも聞ける。物語全体を彼女の嘘の話にしてしまうこともできたのに、自分のいちばん悪い行為を、背負うべきもののなかに含めている男性の言葉として。そう聞くなら、それはドラマのなかで彼が口にする、いちばん責任を引き受けた言葉になり、この文章はそれに対して不公平だったことになる。その聞き方は成り立つし、そちらのほうがよい聞き方なのかもしれない。ここでの異議は、もう一方の聞き方、ふたつの行為が打ち消しあうという聞き方にだけ向けられている。
第四に。美羽の理由をこれほど長く聞く文章は、ドラマが宏樹にしていると責めたことを、美羽に対してしているのかもしれない。説明を割引として働かせる、ということだ。冬月は、自分の子どもについて知る機会を失った。栞は、自分抜きで整えられた物語のなかで育つ。どちらも、そこに自分の理由を持っていなかった。この文章は嘘に甘すぎると思う読者には、正当な言い分がある。答えられるのは、すでに書いたことだけだ。理由は先に聞かれる。聞いたからといって、判断が止まるわけではない。判断の前に来る、というだけだ。
そして、ここまでのすべてにかかわる、小さな五つめ。血よりも日々の世話を、事情を知らない父親よりも手を動かしてきた父親を支持するこの文章の共感は、ドラマの結末にいささかうまく合いすぎている。その具合のよさの代価を払うのは、冬月だ。
この図書室が受け取るもの
美羽への判決ではない。それは、文章が彼女に差し出せるもののなかで、いちばん役に立たないものだろう。受け取るのは、ひとつの習慣だ。ひとつひとつのことを、それぞれの名前で、起きた順に置くこと。
自分がされた害は、自分がする害の許可証にはならない。自分がした害は、自分がされた害を小さくしない。そのふたつは、ひとつの結婚のなかで、ひとりの人生の同じ季節に、どちらも本当でありうる。そして見失われやすいのは、ふたつめのほうだ。女性が何か間違ったことをしたとたん、彼女がされたことは動機へと分類し直され、やがて勘定から静かに消えていく。
もし、誰かにされたいちばんひどいことが、ほかの人たちの語りのなかで、あなたがしたことの理由にすり替わっていたことがあるなら、あなたはふたつの勘定を、両方とも開いたままにしておいていい。あなたがしたことは、あなたが引き受けるものだ。あなたがされたことは、それで小さくはならない。そしてそれは、はじめから、あなたが背負うべきものではなかった。
そして子どもには、自分の物語を、正しい順番で聞く権利がある。聞ける年齢になったときに。
この文章が拠っているもの、主張しないこと
これはテレビドラマのひとつの読みであって、法的、臨床的、治療的な助言ではない。登場人物を含め、誰のことも診断しない。ここにあるどれも、読者についての言明ではなく、誰かの結婚への助言でもない。
この文章のために作品を観てはいない。拠っているのは、次のものだ。フジテレビが放送決定の発表とともに公開し、報道各社がその日に掲載した番組紹介とプロデューサーのコメント。各話の番組表とあらすじ。初回放送の日にリアルサウンドが公開した松本若菜のインタビュー。TVerが公表した再生数ランキング。そして、各話について公刊された記述。台詞は要約であって、正確な引用ではない。
数字は、内閣府の二〇二三年度「男女間における暴力に関する調査」を、令和八年版の男女共同参画白書が報告しているかたちで用い、限界を添えた。法律については法務省による二〇二三年改正の説明に、暴力の形態については内閣府のページに拠った。架空の人物に法律をあてはめてはいない。
父親が誰かということについても、離婚についても、そのほかの法的な問題についても、この文章は助言をしない。そうした問いは弁護士へ、そして家庭に暴力があるなら配偶者暴力相談支援センターへ、持っていくべきものだ。
ここに名前の出る放送局、プロデューサー、脚本家、俳優、配信サービス、官公庁のいずれも、この媒体とは関係がなく、推奨もしていない。
持ち帰る問い
ある物語が、女性のしたことを語るとき、その前に彼女に何が起きたと語っているだろうか。
あなたがしたことを、誰かが何かの言葉で呼んだことはあるだろうか。あなたがされたことには、言葉はあっただろうか。そのふたつは、同じ大きさだろうか。
あとからの親切が答えとして数えられるには、何が必要だろう。そしてその親切は、誰に向けられていなければならないだろう。
この物語のなかで、一度も口をはさめなかったのは誰か。尋ねられる年齢になったとき、彼女は何を受けとってしかるべきだろう。
友人が、かつて自分を傷つけたのと同じ種類のことを、あなたの暮らしのなかに見つけたとしたら。知ったことを、その人にどうしてほしいだろうか。
これが、自分の家で起きていることに近いなら。内閣府の「DV相談+(プラス)」は、0120-279-889で、二十四時間、日本語の電話相談を受け付けている。チャットでも相談でき、チャットは英語を含む十か国語に対応している。#8008に電話すると、最寄りの配偶者暴力相談支援センターに、受付時間内につながる。緊急のときは、110番へ。
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