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Cinema 月明かりの映画館

11PM

1965–1990トーク・バラエティ日本

465作品の星図のなかで見る

ストーリー

結末まで書いています。

日本の深夜大人番組を発明した番組。ジャズ、麻雀、釣り、ヌード。

『イレブン・ピーエム』は、日本初の「深夜お色気番組」と呼ばれるワイドショーで、1965年11月8日から1990年3月30日まで、日本テレビ系列で原則生放送された。全8625回。月・水・金曜は東京の日本テレビが、火・木曜は大阪のよみうりテレビが制作した。アメリカの『ザ・トゥナイト・ショー』をヒントに企画され、毎晩、スキャットのテーマ曲とラインダンサーのアニメーションで始まった。

当初は週刊誌の編集長が司会を務める時事色の強い番組で、視聴率はまったく取れなかった。放送作家の大橋巨泉が、これまでテレビが扱ってこなかった「遊び」を取り上げてはどうかと提案し、やがて自ら司会に立つ。1985年に降板するまで番組の顔であり続け、金曜日にはそのうち16年間、朝丘雪路と名コンビを組んだ。巨泉の月曜日には、性風俗産業を取材するシリーズ「裸の報告書」があり、カルーセル麻紀もそのリポーターの一人だった。同じ月曜日に、徴用工や慰安婦の問題、沖縄返還、日韓関係を掘り下げる硬派な特集も組まれ、番組は1972年にギャラクシー賞を受けた。金曜日は遊びの日で、釣り、麻雀教室、新車紹介、電話で参加するすごろくゲームが並んだ。水曜日は1974年から1986年まで愛川欽也が司会を務めた。大阪では作家の藤本義一が第1週から司会を務め、秘湯をめぐる企画などを放送した。年末にはストリップの対抗戦もあった。

保護者の団体や婦人団体からは低俗だと批判され、1975年には共産党の宮本顕治委員長がポルノ番組だと非難した。一方で作家の井上ひさしは、最良のテレビ番組だと絶賛した。テレビ朝日の『トゥナイト』など他局の深夜番組に視聴者を奪われ、番組は1990年3月に幕を閉じた。

主な出演

  • 大橋巨泉司会

    放送作家から司会者に転じ、番組に「遊び」を持ち込んだ。1966年から1985年まで番組の顔だった。

  • 朝丘雪路アシスタント

    俳優で歌手。16年にわたり金曜日のアシスタントを務め、大橋巨泉との名コンビで人気を集めた。

  • 藤本義一司会(大阪)

    作家。放送開始の週から、よみうりテレビ制作の大阪版で司会を務めた。

  • 愛川欽也司会(水曜)

    俳優でラジオパーソナリティ。1974年から1986年3月まで水曜日の司会を務めた。

  • カルーセル麻紀リポーター

    タレント。性風俗産業を取材する月曜日のシリーズ「裸の報告書」でリポーターを務めた。

この作品が問いかけるもの

『イレブン・ピーエム』は日本の深夜番組の型をつくった。その型とは、のちの番組が切り分けていくことになる混ぜ合わせだった。ある夜はストリップ劇場や風俗店のリポート、別の夜は徴用工や慰安婦、沖縄の問題。司会の巨泉は、このシリーズ1本のためなら残りの364日はばかを言ってもいい、と語ったという。その取引こそ、この番組を記憶する理由だ。お色気が深夜の枠を売り、いったん売れた枠は、視聴率の取れない主題を運んだ。日本テレビの『24時間テレビ』も、この番組の特集から生まれている。同じ番組が、親が子どもに見せたくない番組の上位の常連であり、著名な作家から最良の番組と呼ばれた。その取引は自由の巧みな使い方だったのか。それとも、ほかの夜に体をさらした女性たちがその代価を払っていたのか。問いは残る。