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Cinema 月明かりの映画館

風に濡れた女

Wet Woman in the Wind

2016映画日本

465作品の星図のなかで見る

ストーリー

結末まで書いています。

欲望のままに生きる女が山に籠る劇作家を追い回す。天候のようなセックスの喜劇。

女を断つと決めた東京の劇作家、柏木高介は、森に自分で建てた小屋でひとり暮らしている。寝床はゴムボートで、コーヒー豆は町まで買いに出る。ある昼下がり、港にいた高介の目の前で、若い女が自転車ごと海に突っ込む。這い上がった女は濡れたシャツを絞り、今夜泊めてほしいと言う。汐里という女だ。高介は彼女を道ばたの斜面に放り出すが、汐里は、あんたにロックオンした、逃げられないと言い放つ。

汐里は高介の行きつけの喫茶店でウェイトレスとして働き始め、どこにでも現れる。小屋に帰ると、見知らぬサーファーと汐里が交わっていて、「やりたいか。やったらお前の負けだ」と挑発される。閉店後、汐里が店主の窪内を誘うと、逆上した窪内は彼女に性的暴行を加える。汐里が着ていたのは、出ていった妻の服だった。窪内は、妻が去ったのは高介のせいだと思い込んでいる。役者になりたかったと話す汐里に、高介は演技の手ほどきをする。一本の枝の両端を握り合う稽古は、やがて取っ組み合いのような熱を帯びていく。

そこへ高介の過去がワゴン車でやってくる。かつての劇団仲間で高介の女だった演出家の響子が、四人の若い男優と、高介の熱烈なファンだという新人助手の夕子を連れて現れたのだ。響子は汐里を芝居に誘い、ふたりの即興はいつしか誘惑に変わる。その夜、響子は高介の寝床にもぐり込むが、汐里が割って入り、高介を外へ蹴り出す。外にいた夕子に高介は関係を迫る。あとで夕子は、高校の教師に性暴力を受けたことを打ち明けるが、高介はそれが自分のしたことと重なるとは気づかない。翌朝、響子と男優たちは去っている。高介は夕子も追い返し、山道を歩く夕子は、高介の友人の湯沢の車に乗り込む。

そしてついに、高介と汐里は結ばれる。その激しさに、小屋は崩れ落ちる。目覚めると、汐里の姿はない。瓦礫の中のスツールには、「どっちが犬だ」と刻まれていた。

主な出演

  • 間宮夕貴汐里役

    自らを愛の狩人と呼ぶ謎めいた若い女。女を断った高介を落とそうと、執拗につきまとう。

    汐里の物語

    汐里は、港にいた高介の目の前で自転車ごと海に突っ込み、今夜泊めてほしいと言う。道ばたの斜面に放り出されると、あんたにロックオンした、逃げられないと言い放つ。行きつけの喫茶店で働き始め、どこにでも現れ、小屋にサーファーを連れ込んで、やったらお前の負けだと挑発する。店主の窪内を誘ったときには、逆上した彼に性的暴行を受ける。役者になりたかったと話して稽古をつけてもらうと、それは取っ組み合いになる。高介の元恋人の響子が一座を連れて現れると、即興の芝居を誘惑に変え、響子と高介の寝床に割って入って、高介を外へ蹴り出す。ついに高介と結ばれると、その激しさに小屋は崩れ落ちる。翌朝、汐里の姿はなく、瓦礫のスツールに「どっちが犬だ」と刻まれている。

  • 永岡佑柏木高介役

    恋愛沙汰に疲れて女を断ち、森の小屋にこもった東京の劇作家。

    柏木高介の物語

    高介の森の暮らしは、町で買うコーヒー豆と、寝床のゴムボートでできている。自転車ごと海に突っ込んできた汐里に泊めてほしいと言われても、道ばたの斜面に放り出し、どこにでも現れる彼女を拒み続ける。役者になりたかったと聞いて演技の手ほどきを始めるが、枝を握り合う稽古は取っ組み合いになる。かつての女、響子が一座を連れてやってきて寝床にもぐり込むと、汐里に外へ蹴り出され、助手の夕子に関係を迫る。高校の教師に性暴力を受けたと夕子に打ち明けられても、自分のしたことと重なるとは気づかず、翌朝には彼女を追い返す。そしてついに汐里と結ばれ、その激しさに小屋は崩れ落ちる。目覚めると汐里はいない。瓦礫のなかのスツールには、「どっちが犬だ」と刻まれている。

  • テイ龍進窪内役

    汐里が働き始める喫茶店の店主。妻が出ていったのは高介のせいだと思い込んでいる。

  • 鈴木美智子響子役

    高介のかつての劇団仲間で、元恋人の演出家。巡業の一座を連れて小屋に現れる。

  • 中谷仁美夕子役

    響子の新人助手。劇作家としての高介に憧れ、一座が去ったあとも小屋に残される。

この作品が問いかけるもの

『風に濡れた女』は、1970年代から80年代にかけての日活ロマンポルノを復活させる2016年の企画のために撮られた。尺は80分未満、撮影はおよそ一週間、十分に一度は濡れ場を、という往年の決まりごとの中で、塩田明彦監督は、女が男を追いかけるスクリューボール喜劇をつくった。汐里は欲しいものを欲しいと言い、映画はその欲望を罰すべき罪ではなく、自然の力のように扱う。考えるために欲望から逃げた男のほうが、滑稽に見えてくる。作品はロカルノ国際映画祭のコンペティション部門に選ばれた。批評家は、この喜劇がぼかすものにも目を向けた。力ずくと性愛が溶け合う場面、そしてレイプの扱いの危うさだ。欲しいものを自ら奪いにいくヒロインと、女性から奪うことに長く執着してきたジャンル。映画はそのふたつの読み方のあいだに立っている。