グッド・ラック・トゥ・ユー、レオ・グランデ
Good Luck to You, Leo Grande
Moonlightの読みもの
Cinema『グッド・ラック・トゥ・ユー、レオ・グランデ』と、望むことへの許可この一篇を読むJournalでの言及
Journal初めての夜の前に、実際に起きること。ストーリー
結末まで書いています。
退職した宗教教師が、自分に欠けていたものを知るためにセックスワーカーを雇う。ほぼ会話だけの二人芝居、そして一枚の鏡。
宗教教育の教師を退職し、2年前に夫を亡くしたナンシー・ストークスは、ホテルの一室と、レオ・グランデと名乗る若いセックスワーカーを予約した。緊張し、自分の体を恥じ、ここにいること自体に気おくれしている。31年間、夫がただひとりの相手だった。セックスは義務のように毎回同じで、彼女は一度もオーガズムを知らない。もう二度とふりはしない、と自分に誓っている。レオは急かさず、やさしく、自分の仕事を恥じていない。母親は自分が石油掘削施設で働いていると思っている、と彼は言う。十代のころギリシャ旅行で一度だけ感じた欲望の記憶をナンシーが語ると、レオは彼女に口づける。
二度目、ナンシーは初めての行為を並べたリストを持ってくる。事務的でこわばった彼女は、娘からの電話でさらに固くなる。レオは彼女を踊らせ、自分の体を別の目で見るよう促す。教え子たちの短いスカートをめぐって言い争い、彼は、客の歓びを見ることに本当の歓びを感じていると話す。三度目、ナンシーはネットで彼を調べ、本名がコナーだと突き止めたと打ち明ける。仕事と私生活のあいだに引いた一線を越えられ、レオは激しく怒る。家族に正直になるよう迫る彼女に、彼は本当のことを告げる。母は彼が15歳のときに縁を切り、今は道ですれ違っても素通りするのだ、と。
ナンシーは四度目の約束を、ホテルのカフェでとりつける。変わることができたと礼を言い、本名がスーザン・ロビンソンであること、彼が人生でただひとつの本当の冒険だったことを告げる。レオは弟に仕事を打ち明け、ふたりは連絡を取り合うようになっていた。ウェイトレスのベッキーは元教え子で、スカートのことで「ふしだら」と罵られたのを覚えている。ナンシーは謝り、レオが誰なのかを彼女に話す。部屋に戻った最後の時間、リストの残りをすべて試したあと、部屋を歩くレオを見つめながら、彼女は自分の手で生まれて初めてのオーガズムを迎える。もう予約はいらない、と告げ、ふたりは温かく別れる。ひとりになった彼女は鏡の前に立ち、裸の自分を見つめる。
主な出演
エマ・トンプソンナンシー・ストークス/スーザン・ロビンソン役
一度もオーガズムを知らない、夫を亡くした元教師。失ってきたものを知るため、偽名でレオを雇う。
ナンシー・ストークス/スーザン・ロビンソンの物語
ナンシーはホテルの部屋と若い男を予約したものの、いまにも怖気づきそうだ。亡き夫がただひとりの相手で、一度もオーガズムを知らず、もう二度とふりはしないと決めた、とレオに話す。二度目は初めての行為を書き出したリストを持ってきて、こわばったまま、彼に踊らされてようやくほどける。三度目には彼の本名を突き止めたと打ち明け、家族のことに踏みこんで彼を怒らせる。四度目、ホテルのカフェで本名スーザン・ロビンソンを明かし、かつて恥をかかせた元教え子に謝る。部屋に戻り、歩きまわる彼を見つめながら、生まれて初めてのオーガズムを自分の手で迎える。もう予約はしないと告げ、ひとりになると、鏡に映る裸の自分を見つめる。
ダリル・マコーマックレオ・グランデ/コナー役
仕事に誇りを持つ若いセックスワーカー。本名と、疎遠になった家族のことを客から遠ざけている。
レオ・グランデ/コナーの物語
レオは急かさず、やさしく、自分の仕事に迷いがない。母親は自分が石油掘削施設で働いていると思っている、と彼は言う。ナンシーのためらいに付きあい、耳を傾け、ときに言い返す。短いスカートの教え子たちを責めた彼女には、女の子は好きな服を着ていいと反論し、客の歓びを見ることが自分の歓びなのだと語る。本名がコナーだと突き止められると、一線を越えられたことに激しく怒り、本当のことを明かす。15歳で母に縁を切られた。母は息子は死んだと人に言い、道ですれ違っても素通りするのだ、と。四度目に会うころには、軍にいる弟に仕事を打ち明け、連絡を取りあうようになっている。最後の時間のあと、ふたりは温かく別れる。
イザベラ・ロックランドベッキー役
ホテルのカフェのウェイトレス。ナンシーの元教え子で、彼女に恥をかかされたことを今も覚えている。
この作品が問いかけるもの
『グッド・ラック・トゥ・ユー、レオ・グランデ』は、映画がめったに真剣に扱わないふたつの主題をホテルの一室に置く。年を重ねた女性の性の歓びと、仕事としてのセックスワークだ。ナンシーは生涯、従順な妻であり、厳格な教師であり、子どもに失望した母親だった。何を望むのかと問う人は誰もいなかった。彼女自身も問わなかった。映画は、彼女がそれを、お金を払った相手に声に出して言えるまでを追う。レオは救われる存在でも、憐れまれる存在でもない。彼の引く一線には意味があり、作中もっとも鋭い場面は、彼女がそれを踏み越える場面だ。批評家シーラ・オマリーは、年配の女性の性を率直に描き、セックスワークを裁かない姿勢を評価した。自分の体を詫びずに見つめる最後の場面が、すべてを語る。歓びは若さの特権ではなかった。恥は、教えこまれるものなのだ。