エマニュエル(2024)
Emmanuelle (2024)
ストーリー
結末まで書いています。
1974年のソフトコアの象徴を、女性監督が香港のホテルで失われたオーガズムを探す物語として再構築。
香港へ向かう機内で、エマニュエルは見知らぬ男と化粧室で体を重ね、何も感じない。ふたりが席を立つのを、乗客のひとりケイが見ていた。彼女は高級ホテルグループの品質調査員で、マーゴが支配人を務めるローズフィールド・パレスの査察に来たのだった。サービスも設備もほとんど非の打ちどころがなく、最初の報告書は最高の評価になる。だが、ランキングが下がったことに不満なオーナーは、マーゴを解雇する理由を探せと彼女に命じる。
エマニュエルは料理を味見し、プールサイドで飲み物が届くまでの時間を計り、従業員を見張る男に会う。そのあいだにも快楽を探すが、見つからない。若いカップルとの3人での行為にも、心は動かない。彼女を引き寄せるのはふたりの客だ。プールで客をとる若い娼婦ゼルダは、客との行為をエマニュエルに見られていると知りながら続け、のちにふたりは互いを見つめながら自分の体に触れる。誰にでも手の届く贅沢は、欲しいときの快楽だけだとゼルダは言う。マーゴがゼルダを追い出すと、エマニュエルは怒る。もうひとりは技術者のケイ。上客なのに部屋では決して眠らず、夜になると街へ消えていく、ホテルの謎だ。自分にはもう欲望がないと彼は言う。いずれ海に負けると知りながらダムを造っている、と。エマニュエルは彼の部屋に忍びこみ、浴槽に身を沈める。台風がホテルを停電させた夜、エマニュエルとマーゴは並んで働き、客たちのために魔法のような一夜をつくりあげる。
ついに彼女はホテルを出て、ケイを追って九龍の路地や屋台、麻雀荘へ入っていく。探していたのは伝説のクラブ「フェンウィック」だが、そこはただの賭場で、ケイは仕事で来ていただけだった。とあるクラブの奥の部屋で、ケイに言葉を訳してもらいながら、エマニュエルは地元の男と向き合い、自分の望みを初めて自分の口で伝える。そして彼女は達する。
主な出演
ノエミ・メルランエマニュエル役
高級ホテルグループの品質調査員。支配人の落ち度を探しに香港へ送られる。快楽を感じられなくなっている。
エマニュエルの物語
香港へ向かう機内で、エマニュエルは見知らぬ男と体を重ね、何も感じない。ローズフィールド・パレスでは料理を味わい、時間を計り、監視カメラで客たちをのぞきながら快楽を探すが、見つからない。若いカップルとの3人での行為にも心は動かない。最初に彼女を揺さぶるのは、見られていると知りながら客と交わる娼婦ゼルダで、ふたりは互いを見つめながら自分の体に触れる。マーゴがゼルダを追い出すと、エマニュエルは怒る。もう欲望がないと語るケイにはさらに引き寄せられ、空の部屋に忍びこんで彼の浴槽に身を沈める。ついに彼を追って九龍の路地へ入り、とあるクラブの奥の部屋で、ケイの通訳を介して見知らぬ男に望みをはっきりと伝え、達する。
ウィル・シャープケイ役
ダムを造る技術者。部屋では決して眠らない宿泊客で、もう欲望がないと語る。
ケイの物語
ケイは香港行きの機内で、見知らぬ男と席を立つエマニュエルを見ていた。ローズフィールド・パレスでは、従業員でさえ素性をつかめない上客で、禁じられた場所で煙草を吸い、自分の部屋では決して眠らず、夜ごと街へ消えていく。化粧室での誘いには乗らず、もう欲望がない、食べもせず眠りもせず、いずれ海に負けると知りながらダムを造っているのだと語る。そして、ホテルの外に出たほうがいいと彼女に勧める。九龍の路地を追ってきたエマニュエルが探しあてた伝説のクラブは、ただの賭場で、彼はそこに仕事で来ていただけだった。とあるクラブの奥の部屋で、ケイは少し離れて立ち、彼女の望みを広東語に訳して見知らぬ男に伝える。彼女が達するあいだ、彼はそこにいる。
ナオミ・ワッツマーゴ役
ローズフィールド・パレスの支配人。オーナーは彼女を解雇する口実を求めている。
チャチャ・ホアンゼルダ役
ホテルのプールで客をとる若い娼婦。見られることの快楽をエマニュエルに教える。
この作品が問いかけるもの
『エマニュエル』は、1974年の『エマニエル夫人』以来ソフトコア映画の代名詞となった名前を、快楽を感じられない女性に与えた。1960年代のフランスで妊娠を終わらせようとする学生を描いた『あのこと』のオードレイ・ディヴァンが、レベッカ・ズロトヴスキと脚本を書いた。ふたりは原作のバンコクの若妻を離れ、他人の快適さを採点するのが仕事で、自分の快適さを失った職業人を主人公に据えた。映画が差し出す問題は現実のものだ。快楽のない性。あらゆる欲望が満たされ、同時に見張られている贅沢な世界。そして、女性の快楽は望みを声に出すところから始まるのかもしれない、という考え。初上映の反応は冷ややかで、無機質だという批評も多かった。残る問いは、快楽は探せば見つかるものなのか、それとも手放したときにだけ訪れるものなのか、ということだ。