エマニエル夫人
Emmanuelle
ストーリー
結末まで書いています。
バンコクの外交官の妻が見知らぬ人々から快楽を教わる。パリの一館で10年以上上映され、日本でも70年代の興行を席巻。
若いフランス人女性エマニエルは、外交官の夫ジャンのもとへ、バンコクに飛ぶ。パリでほかの男と寝たかと夫に聞かれ、彼女はいいえと答える。バンコクで知り合ったのは、性についてあけすけに話す少女マリアンジュだった。エマニエルは彼女に、来る途中の機内で見知らぬ男ふたりと関係を持ったと打ち明ける。マリアンジュの奔放さを聞いたジャンは、その友情を後押しする。
パーティーでマリアンジュは、恋人のひとりだという年配の男マリオを紹介する。まだ少女のマリアンジュにとってそれは性的虐待だが、映画はそのようには描かない。エマニエルが惹かれるのは、在留フランス人の輪から離れて暮らす考古学者のビーだ。発掘地までついて行き、ふたりは結ばれるが、そのあとビーは帰ってほしいと告げ、エマニエルは屈辱に泣きながら家に戻る。慰めるジャンは、ほかに恋人を作ればいいと言う。スカッシュ仲間のアリアーヌは、エマニエルの初めての女性の恋人になりたかったとビーに嫉妬し、エマニエルは、ジャンと寝たアリアーヌに腹を立てる。
エマニエルはマリオに会いに行く。夕食の席で彼は、一夫一婦制はもうすぐ滅びる、罪悪感や理性ではなく欲望に導かれよと説く。教えるためと称して彼が連れて行った阿片窟で、エマニエルは彼の見ている前で強姦される。次にマリオはボクシングの試合場で、彼女と寝る権利をかけて若い男ふたりを戦わせる。彼女が選んだ男が勝ち、彼女はその男に身を任せる。のちにマリオは彼女を起こし、すぐに脱がせられるドレスに着替えて次の相手に備えろと命じる。疲れたと言い、あなた自身はいつ私を抱くのかと尋ねる彼女に、マリオは、次のエマニエルを待っているのだと答える。彼女は鏡の前に座って化粧をする。彼の言う通りにすれば、約束された快楽にたどり着けると信じて。
主な出演
シルビア・クリステルエマニエル役
バンコクに来たばかりの外交官の若い妻。夫に促されるように、自らの欲望を探っていく。
エマニエルの物語
バンコクに着いたエマニエルは、パリでほかの男と寝たかと夫に聞かれ、いいえと答える。嘘ではない。見知らぬ男ふたりと関係を持ったのは機内だった。考古学者のビーに恋をし、発掘地まで追いかけて一夜をともにするが、帰ってほしいと言われ、泣きながら家に戻る。夫のジャンは、ほかに恋人を作れと言う。夫と寝たアリアーヌと言い争ったあと、マリオに会いに行く。彼に連れられた阿片窟で、彼の見ている前で強姦される。次はボクシングの試合場で、彼女をかけて若い男ふたりが戦い、彼女は勝った男に身を任せる。次の相手に備えろと起こされると、疲れた、あなた自身はいつ私を抱くのかと尋ねる。最後に、鏡の前で化粧をする。彼に従えば、約束された快楽にたどり着けると信じて。
アラン・キューニーマリオ役
バンコクに住む年配の男。罪悪感ではなく欲望に従えと、エマニエルに説いて導く。
マリオの物語
マリオは年配の男で、性の達人として知られている。エマニエルが初めて彼に会うのはパーティーで、マリアンジュが恋人のひとりだと紹介したときだ。相手が少女である以上、それは性的虐待だが、映画はそう扱わない。夕食の席で彼は、一夫一婦制はもうすぐ滅びる、罪悪感を捨てて欲望に従えばもっと大きな快楽にたどり着けると説く。そして阿片窟へ彼女を連れて行き、彼女が強姦されるのを見ている。次はボクシングの試合場で、彼女と寝る権利をかけて若い男ふたりを戦わせ、勝った男に彼女が身を任せるのを眺める。やがて彼女を起こし、すぐに脱がせられるドレスに着替えて次の相手に備えろと命じる。あなた自身はいつ私を抱くのかと聞かれると、次のエマニエルを待っているのだと答える。
ダニエル・サーキージャン役
エマニエルの夫で外交官。妻にほかの恋人を持つよう勧める。
マリカ・グリーンビー役
在留フランス人の輪から離れて暮らす考古学者。エマニエルが恋をする相手。
ジャンヌ・コレティンアリアーヌ役
エマニエルのスカッシュ仲間。彼女の恋人になりたがり、ジャンとも関係を持つ。
この作品が問いかけるもの
『エマニエル夫人』は女性の性の目覚めの物語として売り出され、その歴史は、誰に向けて売られたかの歴史でもある。フランスでは検閲で公開が止められ、1974年の大統領選のあとに許可されると約890万人を動員し、シャンゼリゼのある映画館では10年以上上映が続いた。日本では1975年の正月、数十か所を削除・修正したうえで一般映画として公開され、観客の約4分の3が女性だった。女性同士で劇場に向かう人が多く、作品は社会現象になった。アメリカでも、行列に女性が多いのを見てコロンビアが配給を決めている。けれど中心にいる女性は、快楽を男たちに段取りされ、教えの名のもとに強姦される場面まである。フランスのフェミニストは、彼女を男の空想の対象だと批判した。この映画は観客を解き放ったのか。それとも、見ることの許しを与えただけなのか。