インサイド・ディープ・スロート
Inside Deep Throat
ストーリー
結末まで書いています。
1972年の作品、ニクソン時代のわいせつ裁判、そして強要されたというリンダ・ラヴレースの後の証言。
『インサイド・ディープ・スロート』は、デニス・ホッパーのナレーションで、一本のポルノ映画と、それにアメリカ社会がどう向き合ったかをたどるドキュメンタリーだ。『ディープ・スロート』は1972年1月、約2万5千ドルの予算でフロリダで撮影された。ブルーフィルムを撮ってきたジェラルド・ダミアーノ監督は、口を使った性行為を軸にした喜劇を、主演のリンダ・ラヴレースを中心に組み立てた。彼女は厳格で保守的な家庭に育った若い女性だった。相手役には、本来の出演者が現れなかったため、撮影スタッフとして働いていた俳優ハリー・リームスが立った。ラヴレースは、出演料は1200ドルだったと語っている。
1972年6月にニューヨークで公開されると、この映画は、それまでどのポルノ映画も越えられなかった一線を越えて大衆に届く。主婦も著名人も映画館に足を運び、インタビューに答える人々のなかには、切符を買うこと自体が意思表示だったと振り返る者もいる。現金の売り上げは、組織犯罪とつながる劇場や配給業者を通って流れ、客席の頭数を数える男たちが回収していた。金がどこへ消えたのか、映画は問いかけるが、答えは出さない。
やがて反動が来る。ニクソン大統領をはじめとする政治家たちが「汚物」の一掃に乗り出し、市、州、連邦のそれぞれで訴追が始まる。メンフィスでは連邦検察が、わいせつ物を州境を越えて運ぶ共謀の罪でリームスを起訴した。1976年に有罪となったが、ジャック・ニコルソンやウォーレン・ベイティらハリウッドの人々が支援に回り、有罪判決は覆される。ニクソン自身はウォーターゲート事件で失脚し、その内部情報提供者はこの映画の名で呼ばれた。映画はラヴレースのその後にも目を向ける。1980年の自伝で彼女は、夫のチャック・トレイナーに無理やり出演させられたと告発し、反ポルノ運動の声となった。2002年、交通事故がもとで亡くなっている。ノーマン・メイラー、ゴア・ヴィダル、ヒュー・ヘフナー、ジョン・ウォーターズ、カミール・パーリアらがそれぞれの見方を語り、映画は後半、1972年のあの公然たる瞬間を、2005年のアメリカと並べてみせる。
主な出演
この作品が問いかけるもの
『インサイド・ディープ・スロート』は、ポルノがアメリカの公の場に足を踏み入れた瞬間と、その代償を誰が払ったのかを描く。映画はこの争いを、表現の自由をめぐる争いとして描く。俳優を見せしめにする検察、わいせつ追放を掲げる大統領、見る自由を示そうと映画館へ向かった観客。だが同時に、中心にいた女性からも目をそらさない。彼女はのちに、強要されていた、あの映画は自分が性暴力を受けている記録だと語り、その証言は反ポルノ運動に引き継がれた。検閲と同意と金は互いに引っぱり合い、映画はそれをすっかり解きほぐしはしない。終盤の2005年との比較は弱いと評する批評家もいた。残るのは、解放の物語すべてに向けられる居心地の悪い問いだ。何百万人が祝った自由が、主演女優が自ら差し出したのではないと語った演技の上に成り立ちうるのか。