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Cinema 月明かりの映画館

OMG 2

2023映画インド

465作品の星図のなかで見る

ストーリー

結末まで書いています。

隠し撮りされた自慰の動画で息子が退学になり、父が学校を訴える。検閲機関の修正指示を経て、成人指定で公開された。

カンティ・シャラン・ムドガルは、シヴァ神を祀る大寺院の門前で店を営む、誰よりも熱心な信者だ。十代の息子ヴィヴェークは、体のことで同級生にからかわれ、いかさまの薬に頼った末に病院へ運ばれる。さらに、学校のトイレで自慰をする姿を隠し撮りした動画をいじめっ子たちがばらまき、町じゅうに出回る。学校は彼を「逸脱者」として退学にする。近所の人々は一家をあざ笑い、寺の裕福な祭司は町を出ろと言い、ヴィヴェークは二度、自ら命を絶とうとする。そのたびに少年を救うのが、シヴァ神の使いである見知らぬ男だ。男はカンティに、ひそかにすることがすべて卑猥なわけではない、息子は行き過ぎただけだ、責められるべきは性について何も教えない学校だと説く。

カンティは学校と、息子に薬を売りつけた男たちを訴え、自ら法廷に立つ。相手は、学校の理事長の義理の娘で弁護士のカーミニー・マヘーシュワリー。カンティは古代インドの書物を持ち込み、この国の文化がかつて性を率直に語っていたことを示す。薬の売り手たちを問いただし、学校側が呼んだ、同じ学校に息子を通わせる性労働者に問いかけ、ポルノや性暴力、良い触れ方と悪い触れ方を子どもが知る大切さを訴える。裁判は報道され、反発は全国に広がる。疲れ果てたカンティは、学校の金と引き換えに訴えを取り下げる書類に署名し、その直後に事故に遭う。病床の彼の前に現れた男は、信仰を失ったことをとがめ、正体を明かす。そして、報道された裁判をきっかけに、祭司の孫娘がおじから受けていた虐待を家族に打ち明けたことを見せる。カンティは息を吹き返す。

彼は金を返す。最後の審理で、ヴィヴェークは初めて法廷で自分の言葉を語り、傍聴していた若者たちも性教育を求めて立ち上がる。判事はカンティの訴えを認め、性教育の義務化と、学校による賠償、ヴィヴェークの復学を命じる。カンティは男を「自分を治してくれた医者」として家族に紹介し、男は次の患者のもとへ車で去っていく。

主な出演

  • パンカジ・トリパーティーカンティ・シャラン・ムドガル役

    寺院の門前に店を構える熱心なシヴァ神の信者。息子の学校を訴え、自ら法廷に立つ。

    カンティ・シャラン・ムドガルの物語

    カンティは町を出ようとしている。ヴィヴェークの動画は出回り、学校は息子を退学にし、近所の人々はあざ笑い、友人の祭司にまで出ていけと言われた。そこへ見知らぬ男が現れて引き止める。悪いのは性について何も教えない学校だ、と。カンティはとどまり、学校と、息子に薬を売りつけた男たちと、自分自身を訴える。求めるのは謝罪と、シヴァ神に捧げるわずかな金だけだ。聖典を携えて法廷に立ち、学校側が呼んだ性労働者には、勇敢な母だと頭を下げる。反発が全国に広がると、学校の金と引き換えに訴えを取り下げ、直後に事故に遭う。裁判の報道がすでに、祭司の孫娘におじからの虐待を打ち明けさせていたと知らされて、彼は息を吹き返す。金を返し、裁判に勝つ。

  • アクシャイ・クマール神の使い役

    シヴァ神から遣わされた見知らぬ男。一家の危機に現れてはヴィヴェークを救い、カンティを導く。

    神の使いの物語

    神の使いは、カンティの祈りに応え、ありふれた男の姿でやって来る。なくしたかばんの届けを出しに来たという警察署で、彼はヴィヴェークのそばに座って慰め、少年が二度、自ら命を絶とうとしたときも、引き戻すのは彼だ。カンティには、息子は悪くないと告げて法廷へ送り出し、その後も町のあちこちで彼の前に現れては、遠回しな助言を与える。カンティが金と引き換えに訴えを捨て、事故に倒れると、病床に現れて信仰を失ったことをとがめ、正体を明かし、彼を生き返らせる。判決のあと、カンティを治した医者として家族に紹介された彼は、カンティが法廷に持ち込んだ古い書物の詰まったあのかばんは自分のものだったと言ってヴィヴェークに託し、次の患者のもとへ車で去っていく。

  • ヤーミー・ゴウタムカーミニー・マヘーシュワリー役

    学校の理事長の義理の娘で弁護士。問題は教育ではなくヴィヴェークの行為だと主張して学校を弁護する。

  • パワン・マルホートラプルショッタム・ナーガル判事役

    カンティの異例の訴えを審理する判事。最後に性教育の義務化を命じる。

  • アールシュ・ヴァルマヴィヴェーク・ムドガル役

    カンティの十代の息子。いじめと誤った知識、隠し撮りの動画で退学に追い込まれ、最後に法廷で口を開く。

この作品が問いかけるもの

本作は、インドの学校に向けた問いを寺院の言葉で投げかける。自分たちの聖典が率直に語ってきた性を、なぜそれを必要とする子どもたちに教えないのか。性教育を訴えるのは懐疑派ではなく、敬虔なシヴァ神の信者だ。その主張は、ひとりの少年の恥と、いかさまの薬と、学校生活を終わらせた一本の動画に根ざしている。性教育と宗教が同じ画面に並ぶことを警戒した検閲当局は、シヴァ神だったアクシャイ・クマールの役を神の使いに改めさせるなどの変更を求めたうえで成人指定とし、映画が代弁する十代は劇場で観られなくなった。直截な語り口には賛否があり、ザ・クイントの評者は、性教育の映画なのに、少年が同意なく撮影されたことに誰も触れないと指摘した。残るのは、大人たちが何を教えるべきだったかを言い争うあいだ、ほとんどひとりで恥を抱えていた少年の姿だ。