EN
メニュー

Cinema 月明かりの映画館

わたしは最悪。

The Worst Person in the World

2021映画ノルウェー

465作品の星図のなかで見る

Moonlightの読みもの

Cinema『わたしは最悪。』と、「まだ分からない」という罪この一篇を読む

ストーリー

結末まで書いています。

オスロで男も職も変え続ける12章のユリヤ。30歳で完成することを拒む。

映画はプロローグとエピローグ、そして12の章で、30歳を目前にしたオスロのユリヤを追う。彼女は医学から心理学へ、心理学から写真へと進路を変え、いまは書店で働いている。15歳年上の漫画家アクセルと恋に落ち、一緒に暮らしはじめる。彼は子どもを望むが、彼女にはまだわからない。アクセルの出版記念パーティーからひとりで帰る途中、ユリヤは見知らぬ結婚披露パーティーにまぎれこみ、バリスタのアイヴィンと出会う。互いに恋人のいるふたりは、一線を越えないまま親密さをもてあそぶような一夜を過ごし、下の名前だけを知って別れる。

ユリヤがフェミニズムとオーラルセックスについて書いた文章は、ネットで読まれるようになる。父は腰痛を理由に彼女の30歳の誕生日に来ず、実は異母妹のサッカーの試合を見に行っていたと彼女は知る。アクセルの兄夫婦との夕食で、自作の漫画の映画化が骨抜きにされたと怒るアクセルの隣で、彼女は自分が透明になったように感じる。翌朝、ユリヤが明かりのスイッチを押すと、街じゅうの時間が止まる。彼女は静止した通りを駆け抜け、アイヴィンのいるカフェへ向かう。その日、彼女はアクセルと別れる。

アイヴィンは恋人のスンニヴァと別れ、ユリヤと暮らしはじめる。あなたといると自分でいられる、と彼女は言う。そんなある日、アクセルの兄から、アクセルが治らない膵臓がんだと知らされる。妊娠に気づいたユリヤは、アイヴィンに言い出せない。病院を訪ねると、アクセルは死ぬのが怖いと打ち明け、今も愛していると言い、きみはいい母親になると告げる。家に戻った彼女はアイヴィンに、ふたりとも子どもを望んでいなかったこと、決めるには時間がほしいことを伝える。アクセルの最後の日々を、ユリヤは彼とともに過ごし、子ども時代の場所をめぐって彼の写真を撮る。今夜はもたないだろうという兄の伝言を聞いた夜、彼女は夜明けまで街を歩く。そのあとシャワーを浴びているとき、彼女は流産する。

エピローグ。ユリヤは映画の撮影現場でスチール写真の仕事をしている。撮影を終えた女優を迎えに来たのは、赤ちゃんを連れたアイヴィンだった。家に戻った彼女は、その日の写真の編集を始める。

主な出演

  • レナーテ・レインスヴェユリヤ役

    30歳を目前にしたオスロの聡明で落ち着かない女性。進路も恋人も変え続け、自分が何者なのかを決められない。

    ユリヤの物語

    ユリヤは何度もやり直す。医学から心理学へ、写真へ、そして書店の仕事へ。15歳年上で望むものがはっきりしたアクセルと暮らすが、子どもを望む彼には応えられず、彼の友人たちのなかで透明になったように感じる。見知らぬアイヴィンと一線を越えない一夜を過ごしたあとアクセルと別れ、誰かいるのかと聞かれて嘘をつく。アイヴィンとなら自分でいられると言いながら、文章を褒めた彼をひどい言葉で突き放す。妊娠したとき、アクセルは死の床にある。アイヴィンには時間がほしいと告げ、アクセルの最後の日々を写真に収め、彼の死のあと流産する。やがてスチール写真家になった彼女は、撮影した女優と赤ちゃんを連れたアイヴィンを見かけ、ひとり帰って写真を編集しはじめる。

  • アンデルシュ・ダニエルセン・リーアクセル役

    ユリヤより15歳年上の売れっ子漫画家。彼女と家庭を築くことを望み、のちに重い病に倒れる。

    アクセルの物語

    売れっ子の漫画家アクセルは、15歳年下のユリヤと出会った夜、ふたりが一緒にいるべきでない理由を並べてみせるが、彼女は去らない。彼は家庭を望み、彼女はまだその気になれない。自作の映画化が骨抜きにされたと怒った夕食の翌朝、別れを告げられ、きっと後悔すると彼は言う。のちにテレビで、若い論客を相手に自作を擁護する。やがて治らない膵臓がんだとわかる。病院で彼は、死ぬのが怖いと打ち明け、きみはいい母親になると言い、きみは人生最愛の人だったと告げる。子ども時代の場所をめぐる彼の姿をユリヤは写真に収め、彼はふたりの昔の暮らしに戻りたいと口にする。今夜はもたないだろうという兄の伝言が、ユリヤのもとに届く。

  • ハーバート・ノードラムアイヴィン役

    ユリヤがまぎれこんだ結婚披露パーティーで出会う、気さくなバリスタ。恋人と別れて彼女を選ぶ。

    アイヴィンの物語

    バリスタのアイヴィンには恋人スンニヴァがいる。ユリヤがまぎれこんできたパーティーで、ふたりはどこまで近づけば浮気になるのかを確かめあうような一夜を過ごし、下の名前だけを知って別れる。スンニヴァと書店に来て再会すると、自分のカフェに来てほしいと告げる。社会の大義にのめりこむスンニヴァと別れるとき、ナレーションによれば、彼は世界で最悪の人間になった気がしている。ユリヤと暮らしはじめ、子どもはつくらないと決める。文章を褒めると、コーヒーを淹れているのがお似合いだと嘲られ、傷つく。妊娠と、考える時間がほしいことを告げられると、どこかほっとしたように見える。のちに、ユリヤが撮影していた女優を、赤ちゃんを抱いて迎えに来る。

この作品が問いかけるもの

『わたしは最悪。』は、仕事にも恋にも子どもにも決めきれない女性を描き、その迷いを直すべき欠点としては扱わない。ユリヤの自由は本物で、その代償もまた本物だ。家庭を望む恋人。何度も約束を守らない父。そして、彼女の代わりに周りの人々が読みあげ続ける年齢という時計。映画は性についても、欲望をめぐる政治についても、可笑しく率直だ。自分の歓びについて書く女性の文章と、自分の漫画を骨抜きにされたと嘆く男性の不満とが、並べて置かれる。ヨアキム・トリアー監督の「オスロ三部作」を締めくくる一本で、レナーテ・レインスヴェはカンヌ国際映画祭で女優賞を受けた。落ち着くことのない人生はよい人生でありうるのか。映画はその問いを開いたまま、ほかの生き方を閉ざしていく選択の悲しみからも目をそらさない。