Cinema
『明日、私は誰かのカノジョ』と、選ばれることの値段
時間を区切って誰かのカノジョを演じる女性たちと、稼いだすべてを担当ホストのひとときに注ぐ女性たち。このドラマは彼女たちの誰も笑わない。そこで売り買いされているのは「選ばれる」という感覚であり、その値段は、お金のどちら側にいても、おもに女性たちが払っている。最後にヒロインは、傷痕を見ても目をそらさなかった優しい男の申し出を断る。彼はそれを、救いの形で差し出したからだ。
第一話の最初の数分間で、カメラは五つの部屋を渡り歩く。十九歳の大学生が鏡に向かい、顔の右側の痕が見えなくなるまで、専用のカバーメイクを重ねている。今日はデートがあり、そのデートで彼女はお金をもらう。若い女性が、男と腕を組んで歩いている。三十五歳の女性が、美容外科でカウンセリングを受けている。黒とフリルに身を包んだ女の子が、ホストクラブのテーブルで、ひとときの夢を買っている。もうひとりの大学生は、いちばん居心地のいいバーで、グラスをあおっている。その映像に、最初の女性の声が重なる。いまの東京で、たったひとりで生きていくのに、いったいどれだけのお金が要るのか。恵まれた生まれか、よほど強い意志のどちらかがなければ、人並みの暮らしにさえ手が届かない、と。
『明日、私は誰かのカノジョ』はそこから始まり、この先のすべては、五人がその問いにどう答えていくかの物語になる。レンタル彼女、パパ活、整形、ホストクラブ。題材を並べれば、世間ではスキャンダルか笑い話として消費されがちなものばかりで、このドラマは、そこにいる女性たちを笑わなかったことで評価されてきた。たしかに笑わない。けれど、このドラマのいちばん鋭いところは、そこではないと思う。
何が手渡されているかを見てほしい。ほとんどどの物語でも、売り買いされているのは同じものだ。選ばれた、という感覚である。男たちは雪にお金を払い、きれいな女の子に選ばれたかのような午後を手に入れる。リナのパパは、若い女性に選ばれているという実感に払い、彼女の友人のほうを選びたくなった途端に、払うのをやめる。女子大生は、担当のホストが自分のためにテーブルへ来てくれる夜に払う。買う側と売る側が同じ画面に収まる場面があまりに多いので、その境目はやがて意味をなくす。意味を持つのは、値段がどこに落ちるかだ。それは、お金のどちら側にいても、おもに女性たちの上に落ちる。
ドラマの最後の拒絶が、そのまま結論になっている。雪の傷痕を見ても目をそらさなかった、彼女の物語でいちばん優しい男が、市場では決して買えないものを差し出す。お金のやり取りなしに、この先もずっと彼女を選ぶ、という申し出だ。ただし彼はそれを、守りたい、という形で差し出し、雪は断る。この文章は、彼女が愛より市場を選んだのではないと考える。救われる必要のある誰かにならなければ受け取れない愛を、断ったのだ。はじめは諦めのように聞こえるタイトルは、この物語のなかで彼女が自分で書いた、ただひとつの文だったとわかる。
このドラマについて、そしてこの文章が扱う範囲
まず記録から。このドラマは、毎日放送が製作し、深夜のドラマ枠「ドラマイズム」で二〇二二年四月から六月末まで放送された、一話三十分、全十二話の連続ドラマである。監督は酒井麻衣、近藤幸子、菅原正登、脚本は三浦希紗、川原杏奈、イ・ナウォン。雪を吉川愛が演じ、その隣を並走する女性たちを、横田真悠、宇垣美里、箭内夢菜、齊藤なぎさが演じた。放送開始に先立って、ディズニープラスでの世界配信も発表されている。
原作は、をのひなおが二〇一九年五月からマンガアプリ「サイコミ」で連載した漫画で、章ごとに主人公が替わるオムニバス形式をとる。放送局はこの作品を、女性を中心に口コミで火がつき、ドラマ化の発表時点で累計三百万部を超えていた漫画として紹介した。二〇二三年には、第六十八回小学館漫画賞の少女向け部門を受賞している。同じ年の五月から六月にかけては、全九話のシーズン2が放送された。優愛(ゆあ)の過去を描く特別編二話のあとで、学費を自分で稼ぐ大学生の留奈(茅島みずき)と、四十代の江美という、同じソープランドで働く二人の女性の物語が描かれる。
特別編がさかのぼるのは、優愛がまだ高校生だった、地方の小さな町での最後の日々だ。噂の絶えない町、よそに家庭をつくった父、ふたりで暮らし、やがて失う祖母。そして、上京する前の彼女につけこんだ大人の男。最後のひとつは、子どもが選んだことではなく、子どもに対してなされた加害である。この文章はそれをそう名指すにとどめ、それ以上は立ち入らない。
ここから先は、シーズン1の全話を、結末と一年後の場面まで含めて扱う。シーズン2にはわずかに触れるだけで、原作漫画には、ドラマと違うところでしか言及しない。なお、この文章はドラマを視聴したうえで書かれたものではない。場面の記述は、放送局の公式あらすじと、公開されている批評や各話の記事に拠っている。台詞はいっさい引用せず、要約で示す。記述が食い違うところは、そう書くか、書かずにおく。
五人の女性と、それぞれに足りないもの
白井雪は十九歳。大学の学費も家賃も自分で払っている。週に一度、彼女は誰かの彼女になる。客が店を通して予約を入れると、決められた時間のあいだ、一緒に歩き、食事をし、手をつなぎ、相手の望む恋人を演じる。体の関係のない仕事だが、話を聞いた周りの人は、たいていそうは思わない。顔の右側には、母親に虐げられていた幼いころの火傷の痕があり、専用のメイクで隠している。誰にも心を開かず、大学でただひとりの友人リナにさえ、何でお金を稼いでいるかを明かしていない。客のひとりで、温かい家庭で育った新人会社員の辻壮太は、素顔で出かけた雪と路上で偶然出くわし、痕を見てしまう。思わず本音をぶつける雪に、彼は、何も変わらないと言う。
リナは人気者で、孤独だ。その寂しさを、彼女は男で埋める。体の関係まで含むパパ活をしていて、恋人が既婚者だとわかった夜には、声をかけてきた男子学生ふたりと夜の街に消え、ホテルにひとり取り残される。そして、なじみの飯田のもとへ戻っていく。飯田はリナの誕生日を口実に雪を呼び出して契約を持ちかけ、断られると、リナとの関係も切ってしまう。雪が風俗のような仕事をしているという噂を聞いたリナを傷つけたのは、仕事そのものより、隠されていたことのほうだった。けれど、付き合い始めた雄大に、じゃあリナはパパと体の関係があることを人に話しているのか、と問われて、彼女は謝りに行く。もう隠し事はしないと雪が傷痕を見せたとき、リナは哀れみの表情を隠せない。
中谷彩は三十五歳で、二十代だと偽っている。顔のほとんどを整形で作り変え、さらなる手術のために、雪と同じ店でレンタル彼女をしている。結婚を望む恋人には、年齢も仕事も整形も隠したままだ。結婚までにすべての手術を終えようと、店を通さずに客からお金を引き出していて、そのなかには、彩と本当に付き合っていると思い込んでいる中年の客もいる。仕事を知られた彩は恋人にすべてを打ち明け、整形前の写真を見せる。彼は彼女の顔を偽りと呼んで去り、店は彼女を解雇する。その夜、雨のなかで傘を差し出したのは、雪だった。
真矢萌は、自分はほかの子とは違う、ちゃんと自分というものを持っている、と信じている大学生だ。行きつけのバーで知り合った優愛にホストクラブへ連れて行かれ、地味で穏やかなホストの楓にだけは、弱いところを見せられることに気づく。そこから彼女はのめり込み、やがて彼のために風俗で働き、大学もやめてしまう。そして楓の誕生日の夜、そのために貯めたお金を手にしたまま、何も言わずに彼のもとを去り、行きつけのバーのマスターに、大恋愛してきたよと笑ってみせる。
高橋優愛は、放送局の言葉を借りれば、自由を求めて上京してきた。風俗で稼いだお金を担当ホストのハルヒの売上のために注ぎ込み、喧嘩をしては仲直りし、また喧嘩をする。
一年後、ドラマはひとりずつの今を映す。壮太は新しい恋人を両親に紹介しようとしている。リナは男に寄りかかるのをやめ、モデルとして歩き出している。彩は相変わらず、次の手術の費用を稼いでいる。優愛は新しい担当の前で、ハルヒの悪口を言っている。萌は美容学校に通い、楓の顔を載せた宣伝トラックが通り過ぎても、笑っていられる。そして雪は、いまも時間を区切って誰かの彼女になり、自分の足で歩いている。明日もまた、彼女は誰かのカノジョになる。
裁く前に、彼女たちの理由を
議論に入る前に、まず彼女たちの理由を置いておきたい。ドラマがそこにこだわっているからでもあり、こういう女性たちについての手っ取り早い語り方が、たいていこの手順を飛ばしてしまうからでもある。飛ばしたところから、蔑みが始まる。哀れみもそこから始まる。哀れみは、蔑みを少しやわらかくしただけのものにすぎない。
最初の理由はお金で、ドラマはそれを文字どおりの意味で描く。第一話の問いは、恋の問いではない。家賃の問いだ。学費も生活費も自分でまかなう学生は、毎月のように電卓をたたく。そしてレンタル彼女は、学生に開かれたふつうのアルバイトより時給がいい。雪はその仕事に酔ってもいないし、恥じてもいない。自分の暮らしの代金を払っていて、しかも、その仕事がうまい。
リナの理由は寂しさで、それは人気では届かない種類の寂しさだ。どこへでも呼ばれ、誰にでも好かれ、ドラマの描き方に従えば、誰にも本当には知られていない。お金を払ってまで一緒にいたがる男は、少なくとも彼女のことを見てはいる。数時間のあいだ、彼女は求められる側でいられる。それは小さなことではない。けれど足りないことも、彼女はわかっている。
彩の理由は、自分で受け入れられる顔だ。雪のカバーメイクも、その小さな版だといっていい。顔がどう受け取られるかで一日の多くが決まってしまうことを、ふたりとも知っていて、ふたりとも、それを自分の手で引き受けた。彩にとってそれは手術であり、雪にとっては、デートのたびの鏡とクリームだ。
萌の理由は、いちばん認めにくいものだから、彼女は認めない。選ばれたいのだ。選ばれることを必要としない自分、それを必要とするほかの子たちとは違う自分を、彼女はまるごと組み立ててきた。ドラマは、その建物が優越感のためのものではなかったことを見せる。身を守るためのものだった。最初から選ばれないと決めておけば、選ばれずに終わることもない。
そして優愛の理由は、自由だ。誰も自分の事情を知らない場所へ行きたい、という、ごく単純な願い。
どの理由も症状ではなく、どの女性も症例ではない。同じ圧力のもとに置かれれば、誰が感じてもおかしくないことばかりだ。ドラマはそこから始まり、この文章もそこから始める。
同じメッセージが、両方向に届く
第七話に、あるレビュアーが鳥肌が立ったと書いている場面がある。楓からお礼のメッセージを受け取ったばかりの萌が、レンタル彼女の客に同じような営業のメッセージを送っている雪と、すれ違うのだ。買う側と売る側を同じ画面に収め、交わされている言葉が同じだと見せる。このドラマでいちばん正直な構図かもしれない。
その構図を頭に置いて見直すと、このドラマの世界は、買う人と買われる人にきれいには分かれなくなる。男たちは優愛の体にお金を払い、優愛はハルヒの時間にお金を払い、そのお金はハルヒの売上になり、売上は彼の順位になる。優愛が彼を罵る場面で、ドラマはハルヒに言い返させる。その言葉は悪役の台詞ではない。客はホストに理想を押しつけ、思いどおりにならなければ使い捨てる、人として扱っていないのはそっちのほうだ、という趣旨の反論である。その回のレビュアーは、居心地の悪い結論を引き出している。優愛を買う男たちと、ハルヒを買う優愛の根にある思いは同じだ、と。払ったのだから、気持ちよくさせてほしい、という思いである。
女性たちも、片側にだけ立っているわけではない。彩の手術代の一部は、彼女と本当に付き合っていると信じている中年の客から出ている。性別を入れ替えれば、楓が萌にしているかもしれないことと同じで、ドラマはそれを言い訳しない。そして一年後、最後に楓が映るのは、彼が店のナンバーワンになったことを知らせる宣伝トラックの側面で、その顔はひそかに変わっている。原作と同じように、まぶたが二重になっているのだ。市場のいちばん上にいる男もまた、自分の顔に手を入れてきた。
では、全体を通して売られているのは何なのか。性ではない。それを含む取り決めは一部にすぎない。愛でもない。愛はどの取り決めも約束できない。売られているのは、選び出されたという感覚であり、このドラマの誰もが欲しがり、同時に誰もが売っている、ただひとつの商品である。そしてその値段は、公平には分けられない。男たちはお金で払う。女性たちは、お金と、それ以外のすべてで払う。大学生活で、仕事で、体の時間で、顔で。
ほかの子とは違うはずの彼女に、ホストが売ったもの
萌の物語は、このドラマでいちばん丁寧に作られている。転落ではなく、仕組みを見せているからだ。彼女は男を求めてホストクラブに入るのではない。退屈して、少し見下して、経験のひとつとして足を踏み入れる。楓は彼女を圧倒しない。地味で、物静かで、ほかのホストとは違う雰囲気の人だ。彼からまめに届くメッセージを、萌は営業だと判断して、返信しない。自分が何を相手にしているか、彼女は正確にわかっている。わかっていても、何も防げない。
流れを変えるのは、ひどい一夜だ。行きつけのバーに大学の仲間を連れて行くと、リナはそこでも華やかにふるまい、萌は、自分の居場所だったはずの場所でさえ居場所をなくす。店を飛び出してスマホを見ると、彼からの着信が残っている。ドラマは楓を、じつに周到に作り込んでいる。あるレビュアーが挙げているとおり、泣いている萌のもとへ駆けつけ、会計の一部を持ち、シャンパンをあおらせることも、ほかのホストが客に求めるようなことを求めることもなく、萌はほかの客とは違うのだから、そんなことはしなくていい、と思わせる。彼は彼女を例外として扱う。それこそが彼の売っているものであり、彼女の自己像がまるごと、欲しがりながら拒むように作られていたものだった。ほかの子とは違う女の子であること。そして、ほかの子たちを見てきた誰かに、そう言ってもらえること。
そこから先は一段ずつで、ドラマはどの段も正確に描いていく。母に頼んだ仕送り。奨学金。稼ぎが間に合わないレンタル彼女の試み。風俗。店の掛け、つまり借金。大学の退学。そして楓の誕生日に、彼の売上のために高いボトルを入れるための、目標の額。どの一段も、誰かに強制されたわけではない。どれもが、その前の一段から、それ以外にない当然の続きのように出てくる。
この図書室には、このドラマを手がかりにした文章がある。『「買う側の女性」には、まだ台本がない』は、文化の関心は支払われる側の女性にばかり向いていると論じ、男の時間にお金を払う女性には自分の台本がなく、借りものの台本しかない、と書いた。クラブで過ごした萌の数か月は、その議論に一つ修正を加えるように思う。彼女には台本がある。それも、ずいぶん詳しい台本が。特別扱い、行き届いたメッセージ、順位、お金を使うべき行事の暦。書いているのは売る側だ。彼女に欠けているのは台本ではない。台本の作者であることだ。
だから、誕生日の夜が大きな意味を持つ。「『紙の月』と、彼女がはじめて自分として使った金」は、お金に手が届くことと、それを自分の望みに向ける立場を持つことは別だ、と論じた。クラブでの萌の夜は、一見その立場のように見える。自分として、自分のために、自分を選んでくれた人にお金を使っているのだから。けれど、いつ使うかを決めていたのは台本のほうだった。その台本が積み上げてきた当の夜、彼女は目標の額をまるごと手にしたまま、台本に一行も書かれていないことをする。使わないのだ。このドラマで萌がお金についてしたことのうち、いちばん彼女自身の意思によるものは、使わなかったことだった。
そして彼女は、行きつけのバーのマスターに、大恋愛してきたよと笑ってみせる。騙されていたのだ、と言うのはたやすく、安っぽい。ドラマはそう言わないし、ほかの誰も言うべきではない。自分に起きたことに、彼女は自分で名前をつけた。その名前をつける権利は彼女にある。本当のことは、二つある。クラブは彼女の物語のほとんどを書いた。そして最後の一行は、彼女が書いた。一年後、トラックに載った彼の顔が通り過ぎるのを笑って見送れることが、その一行が持ちこたえた、いちばん確かなしるしなのかもしれない。
お金は「はい」の代わりにならない
ここは、はっきり言っておかなければならない。このドラマが描く市場全体が、ここをぼかすことで回っているからだ。お金は同意ではない。料金で買えるのは、決められたものだけだ。ある午後、ひとつのテーブル、ひとつの役、ひと区切りの時間。それ以外のことへの「はい」は買えない。一度の「はい」を借りに変えることもできないし、「いいえ」を落ち度に変えることもできない。
ドラマは二つめの物語で、これを試している。飯田の持ちかけた契約を、雪はきっぱりと断る。その「いいえ」は、彼女が引き受けたことを何ひとつ損なっていない。それでも、市場がそれをどう扱うかは見ておく価値がある。あるレビュアーによれば、飯田は、女の子の価値には期限があるという捨て台詞を残して去り、そのうえでリナとの関係を切る。雪の「いいえ」はただで済んだ。その請求は、友人に回された。断った本人に請求できない市場は、近くにいる別の誰かに請求するのだ。
萌の物語では、試練はもっと重い。風俗で働き始めた最初の日、その回のレビューによれば、客は仕事に含まれていないことまで彼女に迫り、萌の心はぼろぼろになる。ここは、ひるまずに言っておく。仕事を引き受けることは、その仕事のなかで客が押しつけてくることのすべてを引き受けることではない。あることのために支払われたお金は、別のことへの同意ではないし、払う側からの圧力は、お金が動いたあとでも圧力のままだ。そして、お金を必要としている人の「いいえ」は細い。だからこそ、線を守る役目を、その場で決めなければならない彼女ひとりに負わせてはいけない。それは力を持つ側、つまり客や、店や、彼女をそこへ送った業者が負うべきものだ。
同意は、逆向きにも働く。ドラマはそれも知っている。ボトルを入れる萌の「はい」は、誰にも強制されていないという意味では本物で、彼女を包む行き届いた演出のすべてがそれを引き出すために組まれているという意味では、作られたものだ。彩もまた、自分と付き合っていると信じている客に似たことをしていて、ドラマはその苦情が店に押し寄せるのを描く。利益のために育てられた「はい」は、内側で感じるほど自由な「はい」ではない。だからといって、どちらの女性を被害者と呼ぶ理由にも、どちらの男を愚か者と呼ぶ理由にもならない。台本を書いたのは誰か、と問う理由になるだけだ。
お金で作った顔は、嘘ではない
すべてを打ち明けたとき、彩の恋人は、あるレビュアーの記録によれば、二つのことを言う。整形は努力ではない。そして、その顔は偽りだ。一つめについては、そのレビュアーの答えが正しい。お金を貯めなければならず、恐怖や痛みとも向き合わなければならない。そこにダウンタイムと失敗の危険まで加わる。それを努力と呼ばないのなら、努力という言葉に意味はない。彩自身の信念は、人は努力すればどこまでも変われる、そのことがずっと自分を支えてきた、というものだ。
二つめの言葉のほうに、とどまってみたい。このドラマのあらゆるものに向けられている非難だからだ。恋人は彼女の顔を愛していた。それが何を代償に作られたかを知るまでは。知った途端、彼はそれを偽りと呼んだ。優しい彼女がお金をもらっていたと知った客がすることも、この物語の女性たちを笑ってきた人々がすることも、同じ動きである。お金が手を貸して作ったものは、偽物だと見なされる。この図書室は『お金が介在すると、親密さは「偽物」になるのか。』でこの問いを正面から扱っていて、その答えの一部は、彩にそのまま当てはまる。お金が何かを不純にするという直感は、多くの場合、そこに注がれた労働をまったく数えていないところから来ている。
彩は嘘をついた。年齢について、仕事について、過去について。結婚しようとしていた人には、その三つについて本当のことを知る権利があった。ドラマはそれを見逃さないし、この文章も見逃さない。けれど、彼女がついた嘘と、彼女が作った顔は別のものだ。彼の一言は、その二つを溶かしてひとつにしてしまう。彼女の顔は嘘ではない。お金と痛みと年月をかけて作り、毎日その顔で生きている、彼女自身の顔だ。どうやって作られたかで、それが彼女のものでなくなるわけではない。
聖人でもない。言い争いのなかで、彼女は別の女性をブスと呼ぶ。あるレビュアーが書くとおり、それは長年、彼女自身に投げつけられてきた言葉で、ドラマは彼女に、自分の口からそれが出るのを聞かせる。寂しい男に信じたいことを信じさせて、お金を引き出してもいる。ドラマが彼女に公平でいられるのは、彼女を善人にする必要がないからだ。そしてドラマは、彩を後悔させるまで罰したりもしない。
解雇された夜、雪と砂浜で語り合いながら、彩は言う。自分を幸せにするのは自分しかいない、これまでの生き方を否定しない、どんな終わり方をしても後悔はしない、と。そして、望んでいた手術を受ける。一年後、彼女は年齢を理由にキャバクラの面接に落ち、看板を蹴って、次へ行こうと歩き出す。女の子の価値には期限がある、と飯田は雪に言った。彩は、市場がその期限を過ぎたと告げる女性であり、それでも歩き続けている。
このドラマについての事典的な記述のなかには、彩やリナに臨床的な病名をつけているものもある。この文章はそうしない。虚構の人物の内側は見えないし、病名をつける側にも見えてはいない。病名は、ドラマがわざわざ開いたままにしている問いを閉じてしまう。ドラマが見せているのは、自分の顔をどうするかを自分で決め、その代金を払い、またそうするだろう女性の姿だ。
哀れみと、哀れみではなかったひとつのまなざし
傷痕は三人に見られ、三人はそれぞれ違うまなざしを雪に向ける。
最初は壮太で、偶然、路上でのことだ。思わず本音をぶつける雪に、彼は、何も変わらないと言う。寛大な言葉だ。同時にそれは、彼自身についての言葉でもある。痕が何であれ、自分の気持ちは変わらない。痕が雪にとって何なのかについては、何も言っていない。
次はリナで、これは雪が自分から見せる。仲たがいを終わらせ、もう隠し事をしないために。リナは哀れみを顔から消せない。そのあと雪は、リナが似合うと言ってくれた口紅を、そっとドレッサーの中にしまう。このドラマでいちばん小さく、いちばん正確な仕草のひとつだ。哀れみとは、相手のほうへ身をかがめるふりをしながら、相手を低いところに置くまなざしである。リナにそのつもりはないし、彼女は冷たい友人でもない。だからこそ、それは深く刺さる。
最後が彩で、すべてを失った夜の居酒屋でのことだ。彼女は、それはつらいわ、というくらいのことを、さらりと言う。それだけで、あとは具体的な助言に移る。蔑みでも、妙な同情でもない。顔で値踏みされながら生きてきた女性が、同じ立場の女性にかける言葉だ。痕は大事なことで、つらいことで、そしてあなたはそれを抱えていける。三つのまなざしのなかで、痕を雪のものとして見たのは、これだけだった。
そして最終話。壮太はもう一度雪を予約し、店を通さずに二日間の旅に来てほしいと伝える。来るかどうかは雪が決めていい、と。雪は来る。そして二日間の予約への礼を言い、仕事の枠を上着のように旅にまとわせる。旅館で、風呂上がりの雪の顔に宿の人がぎょっとしたとき、壮太は黙って彼女の手を握る。彼はいい人だ。ドラマは一度も、そうでないふりをしない。その夜、彼は、雪のことが好きだ、守りたい、と告げる。
放送局のあらすじによれば、その夜、雪ははじめて夢を見る。記事の記述をつなぐと、その夢のなかで彼女は普通の幸せな家庭に育ち、普通の学生生活を送り、普通に壮太と出会って恋をしていて、顔には痕がない。そして問いが浮かぶ。それは、私なのか。雪は断る。ある記事の言葉を借りれば、彼女は誰かに守ってほしいなどと思っていない。
彼女が何を断ったのか、正確に見ておきたい。取り違えやすいからだ。彼女は男より店を、愛よりお金を選んだのではない。差し出された条件での愛を断ったのだ。守るということは、守られる誰かを必要とする。それを受け入れるには、自分の人生を救い出されるべき状態だと認めなければならない。しかもその救いが向かう先は、夢のなかの女性、別の子ども時代と痕のない顔を持った女性のほうなのだ。何も変わらない、そして、守りたい。壮太の二つの言葉は、痕を雪のものとして見ないための二通りのやり方だったことになる。一つめは、それは大したことではないと言う。二つめは、それは守られるべき傷だと言う。痕が彼女の一部だと言ったのは、彩の一言だけだった。
『女風、恋人代行、プライベートコンパニオン。その「あいだ」に、どんな需要があるのだろう。』は、この図書室に、これを見るための道具を残している。この種の取り決めはどれも、二つのものを違う割合で差し出す。どれだけ正確に知られるか、そして相手の応答がどれだけ予測できるか。うまく演じられた役は、予測できることをたっぷり与え、正確さはほとんど与えない。自分の何も賭けられていないからこそ、休まるのだ。雪は売る側から、その内側に住んできた。カバーメイクが役であり、役が彼女の安全だった。壮太は正確さを差し出す。痕を見たのだから。ただし、そこには要求がついている。彩が差し出したのは、要求のまったくつかない正確さだった。一晩だけ、砂浜で。雪に足りなかったのはそれだ、とドラマはほのめかしているように見える。そしてそれは、店にも壮太にも、それぞれが差し出せる条件では与えられないものだった。
長く続くアニメ『彼女、お借りします』と並べると、視点の選び方がくっきりする。レンタル彼女を借りた大学生が彼女に恋をするこの作品は、同じ仕事を客の側から描いていて、その長い弧は、借りた彼女が本当の彼女になるほうへと曲がっていく。温泉リゾートで、彼の家族の前で、彼女は、いまは本当に彼の彼女だと告げる。もっともアニメは、そのあと彼女が自分の気持ちに迷う姿も描くだけの誠実さを持っている。こちらのドラマもまた、レンタル彼女を温泉へ送る。そして答えは、いいえだ。どちらの結末も、この仕事についての真実ではない。どちらも、誰が物語を語っているかについての真実である。払う側が語れば、物語は、お金をもらっていた女の子が本物になることを望む。彼女が語れば、物語は、彼女が自分の人生の作者であり続けることを望む。
東京と、彼女が出てきた町と、外からの見え方
原作のホストクラブの章は、ある書き手の記憶によれば、更新される金曜の夜にはほぼ毎週、ネットの話題の上位に入っていた。その書き手、藤谷千明は、この章を「推し」の文化に重ねて読み、優愛も萌も最後には、ひとりの男というより、プロとしての偶像を求めていたのではないかと書いている。一年後の楓がトラックの側面の顔として現れる最終話は、その読みを裏づけるようで、シーズン2はさらに、歌い手のアイドルとそのファンへと糸をたどっていく。
シーズン1の放送から三年後、法律が、このドラマに描かれたものの一部に追いついた。二〇二五年五月、ホストクラブなど、客を接待して飲食をさせる営業も規制する風営法の改正法が成立した。警察庁の言葉でいえば、悪質ホストクラブの問題を踏まえたものである。同年六月二十八日からは、客の恋愛感情につけ込んで飲食などを求めることが、そうした店のしてはならないことに加わり、料金を支払わせるために、威迫や誘惑によって客に売春や性風俗店での勤務などを求めることは、罰則のある禁止行為になった。ドラマはこれらすべてより前に作られていて、この文章は、その法律を登場人物の誰にも当てはめない。ただ、ドラマが一段ずつ描いた、行き届いたメッセージ、担当の売上を押し上げるためのボトル、支払いから性の仕事へつながる道筋が、のちに法律が名指したものとよく似ていることには、気づいておいていい。
東京は日本のすべてではなく、このドラマも、自分の舞台が数ある場所のひとつにすぎないことを知っているように見える。ドラマが映す唯一の小さな町、特別編で描かれる優愛の故郷は、彼女が出て行かなければならなかった場所だ。噂話や陰口の絶えない町。都会が与えてくれたのは、町には与えられないもの、つまり知られずにいることだった。都会は若い女性が自分を見失う場所だ、というおなじみの筋書きとは逆向きであることを、覚えておいていい。優愛にとって匿名は、はじめて手にした自由だった。シーズン1で二十歳の彼女に出会うころには、市場がその内側に住みついている。シーズン2は、江美を反対の方向へ送る。母のいる実家へ、地元のスナックへ。そこでは、結婚して子どもを育てている旧友の暮らしが、頼んでもいない物差しとして、彼女の人生の隣に並ぶ。
世界に配信されたこのドラマは、日本の外からは、日本に特有の商売の一覧のように見えるかもしれない。けれど、名前と法的な形は日本のものでも、その下にある望みは、日本だけのものではない。年上の男との有償のデート、ボトルで買う関心、クリニックで買う顔、物価の高い都会で家賃の計算をする若い女性。どれも日本の発明ではないし、それを珍しいものとして眺めるのは、自分にも覚えがあると認めずにすませる、ひとつのやり方だ。日本に特有なのは、言葉がこの市場をどれほど細かく切り分けているか、という点かもしれない。レンタル彼女、パパ活、ホストクラブ。それぞれに呼び名があり、決まりがあり、それぞれの汚名がある。よその国から来て、この国の街でひとり暮らしをしている女性にとって、第一話の問いは少しも抽象的ではないだろう。言葉は覚えられても、汚名のほうは誰も説明してくれない、ということにも気づくかもしれない。
この読みへの反論
反論を四つ。少なくとも二つは当たっている。
一つめ。このドラマは美しく、美しさは売れる。配役も光も丁寧で、ホストは抗いがたく造形されている。楓のいるホストクラブはどこかと聞きたくなった、と書いたレビュアーもいる。原作はテレビに来る前から、女性誌との企画やコスプレの広がりを持っていた。女性を笑わないドラマが、それでも、彼女たちを傷つける世界を街でいちばん魅力的な場所のように見せてしまうことはありうるし、そうだとすれば、選ぶことや名づけることをめぐるこの文章の言葉は、見世物を楽しむためのきちんとした語彙、つまりその美学のアリバイなのかもしれない。これは一部認める。このドラマが見た人に何をしたかを、この文章は測れない。
二つめは、もっと鋭い。萌が自分の経験につけた名前、大恋愛を尊重することは、クラブを免罪することになるかもしれない。彼女は大学生活と、何か月分もの体の労働を差し出し、お金は台本の指す場所へ流れ、ドラマは彼女の物語を笑顔で閉じる。優愛は出発点に戻り、ドラマはそれを肩をすくめるように描き、ある記事は彼女のたくましさを称える。ドラマは少なくとも一か所で、原作より優しくもある。リナのモデルとしての新しい人生は、あるレビュアーによれば、ドラマ独自の展開だという。女性の選択を尊重するやり方のなかには、その選択を形づくった仕組みを見るのをやめてしまうものがあり、この文章もそれをしているのかもしれない。差し出せる答えは、すでに書いたことだけだ。二つのことはどちらも本当であり、この文章は両方を視野に入れておこうとした。天秤は仕組みのほうに傾いている、と考える読者は間違っていない。
三つめは雪についてだ。彼女の拒絶は、決断というより、生い立ちが語っているのかもしれない。母親に世話をされなかった女性は、世話をされることに耐えられず、そのたじろぎを自由と呼ぶのかもしれない。この文章にはわからないし、それを知るために虚構の女性を診断するつもりもない。ドラマは拒絶を彼女のものとして描いている。二つの読みは両立する。生い立ちに形づくられた選択も、選択であることに変わりはない。それでも、結末に、いつか開けたくなるかもしれない扉を閉める若い女性を見る読者は、同じ場面を、別の種類の思いやりで読んでいる。
四つめは、内側に向かう。お金の介在するぬくもりは偽物ではない、女性は市場の内側でも自分の足で立っていられる、救いは答えではない。この家から出てきた文章がそう結論するのは、この家にとって都合がいい。その理由で選んだ結論ではないが、疑いは正当であり、広告としても働いてしまわない返答はない。だから、返答はしない。
この家が売っているもの、そして言えないこと
この家は私的な同伴を売っている。つまりこの家の商売は、雪の仕事と近いところにある。ここまでの文章は、そのことを念頭に置いて読まれるべきだ。
この家は、ドラマが描くものの安全な版だと名乗ることはできない。ドラマは、ぬくもりを売る側が買う側の台本をどう書くかを正確に描いている。行き届いたメッセージ、特別扱い、お金を使うべき行事の暦。同伴を売る者は誰でもその種類の売り手であり、この家も例外ではない。ここに書いたことは、何ひとつこの家を免除しない。ある取り決めが、お金のどちら側でも「いいえ」をただのまま保てているかどうかは、内側から文章で保証できることではない。
雪の拒絶を、愛より有償の同伴を選ぶ理由として使うこともできない。彼女は男より市場を選んだのではない。救われることを断ったのだ。そしてドラマが彼女に与えるのは、どんな商売にも売れないものだけだ。彼女自身の足である。
そして、お金が「はい」を作る、と言うこともできない。それがこのドラマのいちばん平明な教えであり、それは、どこよりも先にここに当てはまる。
この文章が主張していないこと
この文章は文化批評であり、臨床的でも、法的でも、治療的でもない。誰も診断せず、いかなる治療も記述せず、読者について何かを言うものでもない。
登場人物に臨床的な病名を用いない。事典的な記述のなかにはそうしているものもあるが、彼女たちが何を感じ、何を必要としているかについてここで述べたことは、ドラマの読みであって、人についての報告ではない。
パパ活を含め、ドラマに描かれたどの取り決めについても、その適法性について何も主張しない。二〇二五年の法改正は警察の公式の告知に基づいて記述したもので、誰にも当てはめておらず、法的な助言でもない。
この文章は、ドラマを視聴したうえで書かれたものではなく、台詞は要約でのみ示した。最終話の語りの言葉づかいは記述によって異なるため、引用していない。ドラマと原作が違うところでは、ドラマに従った。
演者についても原作者についても、その私生活には何も触れない。
シーズン2の特別編には、優愛が高校生だったころに受けた加害が含まれる。この文章はその加害を名指すにとどめ、描写はしない。
統計は一つも用いていない。選ばれることと選ぶこと、哀れみとまっすぐな受けとめ、といった区別は、この図書室の定式であり、測定された知見ではない。
このドラマの作り手や出演者の誰かがこの家を知っている、あるいは推奨している、ということを示すものは何もない。この家の利害は、書くことに代償がともなう本文のなかで述べておいた。
手元に残しておく問い
お金のどちら側かに、あるいは両方に立ったことのある人のために、いくつかの問いを。
最後に選ばれたと感じたのはいつで、その条件を決めたのは誰だっただろう。誰かの優しさが救いの形でやってきたとき、その救いは、あなたに何者になることを求めていただろう。あなたが隠しているものを見て、それはつらいね、とだけ言い、あとはあなた自身に抱えさせてくれた人は、あなたの人生にいるだろうか。そして、愛のためにしたいちばん高くついたことに名前をつけるとしたら、あなたはそれを大恋愛と呼ぶだろうか。それとも、ほかの誰かが別の名前で呼ぶのを許すだろうか。
このドラマは、窮屈な世界を自分の足で歩いていく若い女性の姿で終わる。世界が窮屈でなくなるふりはしない。ただ、名前をつけるのは彼女だと言い張る。あなたの場合も、それは同じだ。選ばれたいと思っていい。そして、それが何だったのかを決められるのは、あなただけだ。
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